真情あふるる軽薄さ
初出:『テアトロ』1968年8月号
収録:
「狂人なおもて往生をとぐ」
p169~229 中央公論社 1970.1.20
「現代日本戯曲大系 第7巻」p295~313 三一書房 1972.2.15
「あの日たち」
p255~308 テアトロ 1974.7.1
「清水邦夫全仕事1958~1980上」
p247~307 河出書房新社 1992.6.20
【上演データ】
1969(昭44)年9月10~22日
現代人劇場=新宿文化提携公演No.1
会場:新宿文化
曲:ビバルディ+三波春男
演出:蜷川幸雄
照明:宮崎純
音響:今泉芳春
音楽:岡部公甫
出演:蟹江敬三(青年)/真山知子(女0)/岡田英次(中年男)/瀬川哲也(男101)/梶原譲二(男102)/佐藤道江(女103)/豊田紀雄(男104)/石橋蓮司(男97)/吉田凉子(女91)/加藤真知子(女92)/坂口連(男100)/大森直人(男105)/佐々倉英雄(男106)/吉田潔(男89)/青山達也(男96)/角間進(男93)/井上博一(男90)/加藤修(男98)/田所陽子(女88)/戸川暁子(女86)/他
【あらすじ】
舞台から客席まで長い行列が蛇行して続いている。何かの切符を並ぶための行列らしいが、少しでも列を乱す者がいると整理員が飛んできて叩きのめすという異様な行列である。
毛糸編機を背中に背負った青年がやって来て、その行列の人々に対し罵倒し嘲り、挑発し、「飼い慣らされた」行列を壊そうとする。行列は彼を黙殺するが、一人の女が同調する。中年男がやってきて、青年をかばい、行列の人々からとりなしていたが…。
【コメント】
記念すべき初の蜷川幸雄演出作品、そして同時に蜷川・清水コンビのスタートとなる作品です。時、70年安保闘争のまっただ中の新宿。かの「
行列
」、本物の機動隊と間違えて体当たりを食らわせた観客がいた、などという逸話があります。外との区別がつかない、というよりはむしろ演劇が外へ出ていって街と同化した、伝説の芝居です。
後年、清水邦夫は語っています。蜷川が人形を持ってきて、舞台の模型に配置した。青年はここ、女0はここ、行列はこう、蛇行して並ぶ…と熱っぽく語りかけた、と。蜷川の原点とも言うべき群衆の扱い方やダイナミズムについては、私は話に聞くだけですが、後の蜷川作品を観ていても想像することは不可能ではありません。
清水邦夫にとっても転機となった第6作目だと思います。この行列は「寓話的な意味合いよりもむしろ、人間の集団に対する生理的嫌悪感から出ている」と蜷川との対談で語っていました。私はむしろこの戯曲はこれまで作り上げた自分の芝居の台詞を破壊する行為に近いと感じました。
私はこの時代に間に合わなかった。けれどもし私がこの時20歳だったとして、この芝居を観ていたか、それは疑問です。観ていたかもしれない。大学生にはなれなかったかもしれない。どこかのアジトに潜んでいたかもしれない。いずれにせよ、舞台というものが一瞬の出会いであり、その時目の前にしたものだけが共有できる空間であると、強く認識させられた作品の一つです。
意外なことに、この作品は現代人劇場の第2作目です。1969年4月、劇団青俳の内部対立から岡田英次、蜷川幸雄らが若手俳優を引き連れて独立分離。1作目は石堂淑朗作「悩める神々はされど出発したまわず」。この時の演出は蜷川でなければ誰がやったのかと言うと、ブレヒトの翻訳の第一人者で俳優座での演出も手掛けてきた岩淵達治氏。
学生の時何故先生が映画「あらかじめ失われた恋人たちよ」に出ていたのか、ちょっと不思議に思っていたのですが、こういうわけだったのかと納得しました。
■ 真情あふるる軽薄さ2001
初出:『せりふの時代』第18巻 2001年冬号 p48~81
【上演データ】
2001(平13)年1月6日~28日
TBS=Bunkamura公演
会場:シアター・コクーン
演出:蜷川幸雄
美術:中越司
照明:原田保
音響:井上正弘
舞台監督:白石英輔
衣裳:小峰リリー
ヘアメイク:武田千巻
演出助手:井上尊晶
出演:鶴田真由/古田新太/井手らっきょ/つまみ枝豆/グレート義太夫/柳ユーレイ/高橋洋
【コメント】
21世紀の冒頭、記念すべき清水・蜷川コンビ第一作の再演です。清水さんは再演に気が進まなかったようですが、『伝説の舞台』として祭り上げられたまま終わるのを良しとせず、批判されても、これを一度ぶち壊して更地にしていく作業をしたい、という蜷川さんに説得されたようです。
観客の反応は、賛否両論まっ二つでした。
確かに、30年と言う月日が過ぎ、時代背景が全く変わった今、あの時代と共に観てこそ意味のあった台詞が古くなってしまった感は否めませんでした。また、初演時にはさぞ斬新だったろう、幕落とし~舞台の裏を見せる手法や、大群衆シーンのスローモーション、等も、今ではおなじみの蜷川演出となり、当時ほど衝撃的でなくなってしまったのも確かです。
それでも、舞台に行列しかない戯曲など後にも先にもなく、それを、階段を使って表現した蜷川演出のセンスは、今見ても他に例がないほど秀逸でした。この二人、どちらが欠けても現在の清水・蜷川はなかったのだと痛感しました。また、現在の蜷川演出の総てが、この作品の中に最初からあったことや、「死ぬんなら朝の舗道、舗道をはがせば下は砂浜」「…生きたマネより死んだマネ…」など後の清水作品を予感させる美しい台詞が随所に現れるのには感動しました。
実際の舞台は、直前の主役降板で代役の高橋洋が熱演し、劇団☆新感線の看板役者・古田新太が軽妙な味を出して、ライトな感覚の2001年版になっていたと思います。 ラストの加筆部分、一人現れた少年が、無差別に群集を撃ち殺し、舞台後ろのシアターコクーン搬入口から、渋谷の雑踏の中へ歩いて消えていくシーンは、闇の中に浮かんだ映画のスクリーンのようで美しかったです。
(2001.9.11 しの)
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