タイトル | 誌名 | 巻号 | 発行年月 | ページ | 図書 |
優柔不断なるテレビドラマ考(私のテレビジョン=媒体としてのテレビをどうみるか―作家によるテレビドラマ論) | シナリオ | 25(8) | 1969年8月 | p27~29 | |
己れ自身についての暗いレッスン―夢野久作全集第4巻「ドグラ・マグラ」 | 文芸 | 8(12) | 1969年12月 | p149~151 | |
「アレンジメント」のぞき(特集:“滅びゆく栄光”に捧ぐ)―(エリア・カザン) | 映画評論 | 27(3) | 1970年3月 | p32~35 | |
想像力ヘの動点―「トラストDE」 | 文芸 | 9(3) | 1970年3月 | p284~286 | |
想い出の日本一万年 | 同時代演劇 | 2 | 1970年6月 | p50~54 | |
寺山修司「暴力としての言語」―くだけ散る皿の彼方へ | 現代詩手帖 | 13(9) | 1970年9月 | p128~129 | |
劇作家としての安部公房(特集:70年代の前衛・安部公房)―(安部公房論・三つの視点) | 国文学 解釈と鑑賞 | 36(1) | 1971年1月 | p69~73 | われら‥ |
奇怪なる時代の戯曲 | 波 | | 1971年7・8月 | | われら‥ |
偽故郷 | 話の特集 | | 1971年8月 | | われら‥ |
浮浪の思想(特集:脱時代の思想) | 別冊経済評論 | 7 | 1971年11月 | p69~76 | われら‥ |
劇作家としての安部公房 | 国文学 解釈と鑑賞 | | 1972年1月 | | われら‥ |
〈ワナ〉を仕掛けよう(特集:シナリオ作家に未来はあるか) | シナリオ | 28(3) | 1972年3月 | p36~39 | |
〈犯す〉〈犯される〉関係と一家心中(日本人の歪められた性と幼児虐待) | 潮 | 151 | 1972年3月 | p226~231 | われら‥ |
「家」感覚についての雑感(特集:鈴木忠志の世界) | 別冊新評 | 60 | 1972年5月 | p~ | |
光ある孤立感を!(演劇時評) | シナリオ | 28(9) | 1972年9月 | p38~40 | われら‥ |
失語症時代 | 創 | | 1972年10月 | | われら‥ |
尾崎放哉―座りこんでいく人間(日本のアウトサイダー(伝記特集)) | 別冊経済評論 | 11 | 1972年11月 | p252~260 | われら‥ |
氾濫する饒舌の背後 | 早稲田文学〔第7次〕 | 4(12) | 1972年12月 | p16~30 | われら‥ |
演劇批評を批判する | テアトロ | 358 | 1973年1月 | p90~96 | われら‥ |
演劇の野性のありかを求めて | 文芸展望 | 春季号 | 1973年4月 | | われら‥ |
定まらぬ視線の謎 | 文芸展望 | 春季号 | 1973年4月 | | われら‥ |
歌謡曲と半放浪 | 群像 | | 1973年6月 | | われら‥ |
ドツキ漫才における奇怪さ | 文芸展望 | 夏季号 | 1973年7月 | | われら‥ |
豊穣たるイメージ | ラジオ・ドラマ | 別冊解説書 | 1973年9月 | | われら‥ |
正々堂々とした観客層 | 文芸展望 | 秋季号 | 1973年10月 | | われら‥ |
某地方巡査と息子にまつわる覚書(劇作家による昭和激動史―3―) | 新劇 | 21(1) | 1974年1月 | p34~42 | われら‥ |
「テレビ」は放浪を駆逐する | 放送批評 | | 1974年1月 | | われら‥ |
安部戯曲の新しい貌(特集:演劇館・三島由紀夫と安部公房)―(安部戯曲の主題と方法) | 国文学 解釈と鑑賞 | 39(3) | 1974年3月 | p71~77 | われら‥ |
狐憑きの群れ〔受賞のことば〕(第18回「新劇」岸田戯曲賞発表) | 新劇 | 21(3) | 1974年3月 | p80 | |
現代の幽霊―安部公房の戯曲をめぐって(特集:日本の幽霊―幽霊の内実) | 国文学 解釈と教材の研究 | 19(9) | 1974年8月 | p59~64 | ほほえみよ‥ |
お藤における“男”の抹殺―「堀川波鼓」(特集:近松―近世悲劇の原像―近松の可能性) | 国文学 解釈と鑑賞 | 39(11) | 1974年9月 | p124~125 | ほほえみよ‥ |
サーカスが身内である不幸 | 新劇 | 21(9) | 1974年9月 | | ほほえみよ‥ |
石狩の流れに…… | 旅 | | 1974年9月 | | ほほえみよ‥ |
〈謎の旅〉の喪失(作家の眼―シナリオとは何か―15―) | シナリオ | 30(11) | 1974年11月 | p10~13 | ほほえみよ‥ |
演劇にとって「わたし」とは誰れか(特集:文学の原点「私」―文学における「私」とは誰れか) | 早稲田文学〔第7次〕 | 7(1) | 1975年1月 | p48~49 | 火のように |
男の孤独・女の孤独 | 婦人生活 | | 1975年3月 | | ほほえみよ‥ |
戒若論 | ? | | 1975年3月22日 | | ほほえみよ‥ |
吉増剛造のなかにおける〈劇〉―吉増剛造について(特集:鈴木志郎康VS吉増剛造) | 現代詩手帖 | 18(5) | 1975年5月 | p143~146 | ほほえみよ‥ |
殺し―その独自なエネルギー(歌舞伎―バロキスムの光と影)―(歌舞伎の意匠) | 国文学 解釈と教材の研究 | 20(8) | 1975年6月 | p91~93 | ほほえみよ‥ |
むしろ「悲劇」体質について | 新劇 | 22(6) | 1975年6月 | | ほほえみよ‥ |
マクベスの夢幻の旅 | ユリイカ | | 1975年11月 | | ほほえみよ‥ |
演劇と「現代の直観」(特集:政治的演劇) | 悲劇喜劇 | 28(11) | 1975年11月 | p44~46 | ほほえみよ‥ |
演劇の毒性についての想夢(私の演劇状況―2―) | 新劇 | 22(12) | 1975年12月 | p62~69 | ほほえみよ‥ |
「夢の体験」と「レンズ」 | ユリイカ | | 1976年3月 | | ほほえみよ‥ |
リアリズムと夢(特集:女流文学の現在―女流文学の主題と特質) | 国文学 解釈と教材の研究 | 21(9) | 1976年7月 | p50~54 | ほほえみよ‥ |
〈図書館〉とランボー | ユリイカ | | 1976年11月 | | ほほえみよ‥ |
侵入 | 劇場 | 18 | 1977年4月 | | 火のように |
煙浴幻想――岩倉の里にて | 新劇 | 25(2) | 1978年2月 | p76~81 | ほほえみよ‥ |
日本の「母」を見つめる眼―畑山博著「埋もれた遺書」 | 潮 | 225 | 1978年2月 | p275~277 | |
義仲軍における《魔の時間》 | アート・トップ | | 1978年4月 | | ほほえみよ‥ |
老人列車 | 新劇 | 25(4) | 1978年4月 | | ほほえみよ‥ |
都市風土から立ち上がる演劇 | 読書・北海道 | | 1978年5月15日 | | ほほえみよ‥ |
チェーホフと「楽屋」 | ユリイカ | | 1978年6月 | | ほほえみよ‥ |
気魄の酒 | 創 | | 1978年6月 | | ほほえみよ‥ |
風呂 | 室内 | | 1978年10月 | | ほほえみよ‥ |
白の景色―新雪の原を踏み荒らして | スキー・グラフィックス | | 1978年11月 | | ほほえみよ‥ |
裸舞台(特集:空想劇場) | テアトロ | 432 | 1979年2月 | p141~142 | 火のように |
一ケ月まえ(追悼・観世寿夫) | 新劇 | 26(2) | 1979年2月 | p87~88 | |
三島由紀夫と安部公房(特集:現代の劇―演劇の思想家たち) | 国文学 解釈と教材の研究 | 24(3) | 1979年3月 | p79~83 | 火のように |
贋・「煙草の害について」 | 悲劇喜劇 | 32(7) | 1979年7月 | p50~52 | 火のように |
なぜかなつかしい少年の魂…… | シェイクスピア全集VI(白水社版)月報 | | 1979年7月10日 | | 火のように |
別人になりたい…… | 酒 | | 1979年8月 | | 火のように |
下敷き デンマーク―「ハムレット」ゆかりの血にて | コメディアン | | 1979年12月 | | 火のように |
拷問 | 文芸 | | 1979年12月 | | 火のように |
劇について(早稲田大学演劇学会主催シンポジウム―報告と記録) | 演劇学 | 21 | 1980年 | p96~113 | |
身に過ぎたるは…… | 望星 | | 1980年1月 | | 火のように |
〈セリフ〉のメモ | 群像 | | 1980年5月 | | 火のように |
冒険 | 文化庁月報 | | 1980年5月 | | 火のように |
友よ | 銀座百景 | | 1980年6月 | | 火のように |
呼びかけの名前 | 群像 | | 1980年6月 | | 火のように |
歴史の孤児―平将門 | 歴史読本 | | 1980年6月 | | 火のように |
故郷にて | 同朋 | | 1980年9月 | | 火のように |
ふしぎな光芒につつまれていたあの頃(特集:私の処女作) | 悲劇喜劇 | 33(9) | 1980年9月 | p61~64 | |
なぜか温泉…… | 婦人公論 | | 1980年10月 | | 火のように |
闇の力 | マルモ・ライティング・ニュース | | 1980年冬 | | 火のように |
闇の白虎―一枚の絵にまつわる狂気について | 季刊美術誌求美 | | 1980年冬 | | 火のように |
好きな宿のためには…… | 温泉 | | 1981年1月 | | 火のように |
再読味読 | 朝日ジャーナル | | 1981年1月23日 | | 火のように |
制服の魔性について | ハイファッション | | 1981年2月 | | 火のように |
寂しい青年 | ポスト | | 1981年5月 | | 火のように |
鞭うたれるセリフ | 本 | | 1981年5月 | | 火のように |
〈光の回廊―サン・マルコ〉をめぐって 二つの時間の帯…… | 六月の風 | | 1981年5月 | | 火のように |
〈決定されたセリフ〉について(特集:俳優の養成―俳優養成にのぞむ)
| 悲劇喜劇 | 34(6) | 1981年6月 | p20~21 | |
ぼくの周辺の〈部屋〉について(特集:ハロルド・ピンター) | 新劇 | 28(10) | 1981年10月 | p58~61 | |
思い思いの声を出して…(特集:文学に救いはあるか) | 早稲田文学〔第8次〕 | 68 | 1982年1月 | p48~49 | |
〈ニセの情報〉づくりとしての自分の点検(特集:平和の声―なぜ、訴えるのか―反核・私の意見) | 世界 | 440 | 1982年7月 | p36~38 | |
夢想が真に魅惑的になる時(たき火) | 21世紀フォーラム | 第15号 | 1982年12月 | p36~38 | |
親鸞の宇宙・その余白―「歎異抄」(特集:仏教―詩的宇宙として―法語・個の文学へ) | 国文学 解釈と教材の研究 | 28(4) | 1983年3月 | p66~71 | |
〈生きている詩〉となったT.ウィリアムズ | 新潮 | 80(6) | 1983年5月 | p234~236 | ステージ・ドア‥ |
老い、そして家の〈気配〉 | 群像 | 39(4) | 1984年4月 | p297~301 | |
ああ、行きずりの人よ | 現代 | | 1984年11月 | | ステージ・ドア‥ |
セリフを生み出す周辺(特集:舞台のことば) | 悲劇喜劇 | 37(12) | 1984年12月 | p24~25 | |
あれは昭和の夢か、時代病か―北陸少女歌劇草史 | テアトロ | | | | |
―1―「パパ…」と「うちのコドモたち…」の関係 | 505 | 1985年3月 | p108~116 | |
―2―島崎藤村と冬村と、そして清水にまつわる地方人気質―1― | 506 | 1985年4月 | p124~132 | |
―3―島崎藤村と冬村と、そして清水にまつわる地方人気質―2― | 507 | 1985年5月 | p133~141 | |
―4―肺病とスキャンダル―1― | 510 | 1985年8月 | p94~100 | |
―5―肺病とスキャンダル―2― | 511 | 1985年9月 | p98~104 | |
―6―肺病とスキャンダル―3― | 512 | 1985年10月 | p118~124 | |
―7―藤村の「新生」と冬村の「新生」―1― | 514 | 1985年12月 | p92~98 | |
―8―藤村の「新生」と冬村の「新生」―2― | 515 | 1986年1月 | p140~146 | |
―9―コドモ愛―1― | 517 | 1986年3月 | p158~165 | |
―10―コドモ愛―2― | 520 | 1986年6月 | p94~100 | |
―11―コドモ愛―3― | 521 | 1986年7月 | p54~61 | |
―12―ヴァンプの抹殺―1― | 524 | 1986年10月 | p119~125 | |
―13―ヴァンプの抹殺―2― | 525 | 1986年11月 | p130~136 | |
―14―ヴァンプの抹殺―3― | 527 | 1987年1月 | p120~126 | |
―15―ヴァンプの抹殺―4― | 529 | 1987年3月 | p178~184 | |
―16―ヴァンプの抹殺―5― | 531 | 1987年5月 | p108~115 | |
―17―時代病の正体―1― | 532 | 1987年6月 | p102~108 | |
―18―時代病の正体―2― | 534 | 1987年8月 | p94~100 | |
―19完―時代病の正体―3― | 536 | 1987年10月 | p110~116 | |
仇花をささえる見えない湖底―デュラス作品の沈黙について(特集:マルグリット・デュラス) | ユリイカ | 17(7) | 1985年7月 | p84~89 | |
「あの日たち」―忘却と時間についての抒情的追憶(戦後新劇の名舞台―26―) | 悲劇喜劇 | 38(11) | 1985年11月 | p46~48 | |
靴をぬぐ、ぬがない | Voice | | 1986年6月 | | ステージ・ドア‥ |
コレクター | 知識 | | 1986年7月 | | ステージ・ドア‥ |
家・狂気・女―同郷人の眼から見た安吾(特集:坂口安吾) | ユリイカ | 18(11) | 1986年10月 | p137~143 | |
わが“バイブル” | ちくま | | 1987年5月 | | ステージ・ドア‥ |
カルメン幻想(「カルメンの悲劇」を観る) | 悲劇喜劇 | 40(6) | 1987年6月 | p39~41 | |
“きょうだい”は消えるか―中国を旅して | 悲劇喜劇 | 40(7) | 1987年7月 | p64~66 | ステージ・ドア‥ |
死の「虚構化」という切札(特集:自分にとって「死」はないという切札) | 新潮45 | 7(8) | 1988年8月 | p37~41 | 生きるための死に方 新潮社 1989.6 |
アフリカで出会った漂泊者の話(特集:高度情報社会―私にとっての高度情報) | 新潮45 | 8(1) | 1989年1月 | p175~8 | |
洋風建物へのこだわり | 悲劇喜劇 | 42(1) | 1989年1月 | | ステージ・ドア‥ |
「巨女伝説」から見た演劇 | 悲劇喜劇 | 42(1) | 1989年1月 | p56~65 | |
〈戦争〉を天才的に語る人々(テアトロ創刊55年555号記念特別企画―劇作家たちは今) | テアトロ | 555 | 1989年5月 | p67~69 | |
あれは夢幻だったのか。闇に向かう旅、老人列車の風景は…… | アサヒグラフ | | 1989年6月 | | ステージ・ドア‥ |
『にんじん』 | 悲劇喜劇 | 42(7) | 1989年7月 | | ステージ・ドア‥ |
行きつけの店 | 現代 | | 1990年2月 | | ステージ・ドア‥ |
呪術の女性に“男”を意識したとき(ニッポンの「弟」海部研究―この奇妙な安定の秘密はなにか) | Asahi journal | 32(27) | 1990年7月 | p14~16 | |
男の病気・恥の感覚(特集:病気) | テアトロ | 570 | 1990年8月 | p56~58 | |
往復書簡 横内謙介さんへ―演劇のなかの「物語」(ペリスコープ) | 群像 | 45(11) | 1990年11月 | p376~379 | |
「跳躍台」小川国夫―発明するのではなく、掘り出すということ | 文學界 | 45(1) | 1991年1月 | p346~348 | |
大家族「姻戚派閥」の落とし穴(徹底研究 揺らぐか「竹下派支配」) | Asahi journal | 33(34) | 1991年8月 | p14~16 | |
アメリカは「怖い国」か―「真珠湾」を超えるために(特集:50年のこだわり) | 諸君 | 24(1) | 1992年1月 | p42~53 | |
楽屋・考 | 海燕 | | 1992年9月 | | ステージ・ドア‥ |
舞台空間で体験した2、3の事柄(特集:舞台空間の処理) | 悲劇喜劇 | 45(9) | 1992年9月 | p8~10 | ステージ・ドア‥ |
蒸気船が消えたあの頃…… | 本 | | 1992年9月 | | ステージ・ドア‥ |
「シアター目白館」消滅記 | 悲劇喜劇 | 45(11) | 1992年11月 | p50~52 | |
安部さんの死、そしてその劇的世界(追悼・安部公房) | 群像 | 48(3) | 1993年3月 | p309~311 | |
宇野重吉さんのこと | 文藝 | 春季号 | 1993年3月 | | ステージ・ドア‥ |
随想 大人扱い | 大学と学生 | 333号 | 1993年5月10日 | p44~48 | |
「怪物」アゴタ・クリストフ著 堀茂樹訳―余白がはらむ不思議なパワー | 文學界 | 48(10) | 1994年10月 | p236~239 | |
日本刀、刃物、あれこれ(特集:敗戦から50年―下―) | 悲劇喜劇 | 48(2) | 1995年2月 | p23~25 | |
故郷に似た風景(点心 79) | 東京人 | 10(3) | 1995年3月 | p84~85 | |
母の作話癖及び男装のことなど(特集:続・母の匂い) | 悲劇喜劇 | 48(5) | 1995年5月 | p8~9 | |
「悪童日記」の舞台化 | 文藝春秋 | 73(8) | 1995年6月 | p83~84 | |
闇へのこだわり、気配へのこだわり(特集:照明/音響のメカニズム) | 悲劇喜劇 | 48(9) | 1995年9月 | p20~21 | |
1995・夏・戦勝記念で湧くロンドンにて(エッセイ) | 悲劇喜劇 | 49(1) | 1996年1月 | p36~37 | |
リズムや呼吸が伝わってきた宇野重吉さんからの手紙―劇作家・清水邦夫(特集:手紙にこだわる) | 毎日グラフ・アミューズ | 49(3) | 1996年2月14日 | p88~89 | |
水倉(特集=作家の独白) | 悲劇喜劇 | 49(3) | 1996年3月 | p16~17 | |
対立することばの衰退(特別企画 日本語のゆくえ) | 新潮 | 93(9) | 1996年9月 | p453~456 | |
宇野重吉さんの手紙(特集:密かな大人の楽しみ「文通しませんか」) | 蘇る! | 9(11) | 1997年1月 | p14~15 | |
背表紙を睨む(特集:続・わたしの古典) | 悲劇喜劇 | 50(4) | 1997年4月 | p16~17 | |
地形マニアの一日(随筆) | 東京人 | 13(4) | 1998年4月 | p9 | |
資料の闇(特集:芝居になる人) | 悲劇喜劇 | 51(7) | 1998年7月 | p11~13 | |
作家論 安部公房に関するいくつかの記憶の断片(演出家とは何か) | 演劇人(舞台芸術財団演劇人会議) | 6 | 2000年 | p94~101 | |
『署名人』ほか2、3の作品について(特集=歴史劇と時代劇) | 悲劇喜劇 | 53(4) | 2000年4月 | p28~30 | |
『心のこり』藤堂志津子(文春図書館) | 週刊文春 | 44(11) | 2002年3月21日 | p143 | |
文学・演劇 あの日たち(特集:コードネームは〈井上ひさし〉) | 国文学 解釈と教材の研究 | 48(2) | 2003年2月 | p60~62 | |
清水邦夫講演録―作家にとっての「ふるさと」 | 文芸たかだ | 第277号 | 2005年5月25日 | p24~31 | |
魔の家 | せりふの時代 | | | | |
―1―家に帰ると叱られる | 1996年11月号 | 1996年10月2日 | p100~104 | |
―2―軒先と物干し台 | 1997年2月号 | 1997年1月10日 | p132~135 | |
―3―あかずの間と父の不在 | 1997年5月号 | 1997年4月2日 | p200~203 | |
―4―父親の不在と〈妹の力〉 | 1997年8月号 | 1997年7月2日 | p220~223 | |
―5―〈妹の力〉番外篇 | 1997年11月号 | 1997年10月2日 | p214~217 | |
―6―移動する家族 | 1998年2月号 | 1998年1月10日 | p230~233 | |
―7―続・移動する家族 | 1998年5月号 | 1998年4月2日 | p210~213 | |
―8―続々・移動する家族 | 1998年8月号 | 1998年7月2日 | p242~245 | |
―9―移動する家族・終章 | 1998年11月号 | 1998年10月2日 | p240~243 | |
―10―性悪女〈母〉との斗い―1― | 1999年2月号 | 1999年1月9日 | p244~247 | |
―11―性悪女〈母〉との斗い―2― | 1999年5月号 | 1999年4月2日 | p160~163 | |
―12―性悪女〈母〉との斗い―3― | 1999年8月号 | 1999年7月2日 | p194~197 | |
―13―性悪女〈母〉との斗い―4― | 1999年11月号 | 1999年10月2日 | p250~253 | |
―14―そうかも知れない | 2000年2月号 | 2000年1月8日 | p244~247 | |
―15―いのちの電話 | 2000年5月号 | 2000年4月1日 | p210~213 | |
―16―西洋館の闇 | 2000年8月号 | 2000年7月1日 | p160~163 | |
―17―「遠野物語」の妖怪―上― | 2000年11月号 | 2000年10月2日 | p236~239 | |
―18―「遠野物語」の妖怪―下― | 2001年2月号 | 2001年1月10日 | p230~233 | |
―19―ひばり幻想 | 2001年5月号 | 2001年4月2日 | p272~274 | |
―20―三波春夫の死 | 2001年8月号 | 2001年7月2日 | p270~273 | |
―21―留置場という空間 | 2001年11月号 | 2001年10月2日 | p246~249 | |
―22―噂のゆくえ | 2002年2月号 | 2002年1月10日 | p232~235 | |
―23―わが故郷は地すべり地帯 | 2002年5月号 | 2002年4月2日 | p220~223 | |
―24―商船テナシチー | 2002年8月号 | 2002年7月2日 | p224~227 | |
―25―監禁幻想 | 2002年11月号 | 2002年10月2日 | p218~221 | |
―26―火葬場 | 2003年2月号 | 2003年1月10日 | p244~247 | |
―27―鴉(カラス) | 2003年5月号 | 2003年4月2日 | p216~219 | |
―28―義経 | 2003年11月号 | 2003年10月2日 | p230~233 | |
―29―番外篇・イワン青年 | 2004年2月号 | 2004年1月10日 | p198~201 | |
―30―自殺の生態 | 2004年11月号 | 2004年10月2日 | p184~187 | |
雪にまつわる話(特集:舞台に降る雪) | 悲劇喜劇 | 2007年1月号 | 2007年1月1日 | p10~11 | |