家族の肖像 | ||
原題 | Gruppo di Famiglia in un Interno(英:Conversation Piece) | 制作年 | 1974年/121分 |
制作国 | イタリア/フランス | |
監督 | ルキノ・ヴィスコンティ | 製作 | ジョヴァンニ・ベルトルッチ | 脚本 | ルキノ・ヴィスコンティ/エンリコ・メディオーリ/スーゾ・チェッキ・ダミーコ | 撮影 | パスクァリーノ・デ・サンティス |
音楽 | フランコ・マンニーノ |
美術 | マリオ・ガルブリア | 衣装 | ヴェラ・マルツォ(シルヴァーナ・マンガーノの衣装:ヒエロ・トージ) | 編集 | ルッジェーロ・マストロヤンニ | 助監督 | アルビーノ・コッコ | 出演 | バート・ランカスター(教授)/ヘルムート・バーガー(コンラッド)/シルヴァーナ・マンガーノ(ビアンカ・ブルモンティ)/リエッタ(クラウディア・マルサーニ)/ステファノ・パトリッツィ(ステファノ)/ドミニク・サンダ(教授の母)/クラウディア・カルディナーレ(教授の妻) | 日本公開 | 1978年 |
■内容 ローマの広大な館に一人静かに暮らす初老の教授の趣味は18世紀の「家族の肖像画(Conversation Piece)」を蒐集することだった。ある日実業家夫人が自分の愛人を住まわせるために階上の部屋を借りたいと言って来た。静かな生活を乱されてはと思い、教授は断ったが、夫人は娘とその婚約者らとともに、策を練って強引に1年契約ということで借りてしまう。 ところが、彼女の愛人は自分の持ち物になったと聞かされ、強引な改装工事に入る。怒った教授と愛人の青年は決着をつけるため対話する。青年が夫人に電話するとヒステリーを起こして話にならない。ところが、この青年が絵画に鑑識眼があったことから、教授との不思議な交流が始まる…。 ■感想 ルートヴィヒ編集中に脳卒中で倒れたヴィスコンティが奇跡的に回復し、左半身不随のまま作った作品。モブシーンを撮ることが出来ないことは、さすがのヴィスコンティも自覚していたのだろう。舞台は屋内、しかも教授の屋敷でのみ、登場人物も限られており、晩年の小品と言っていい映画だが、完成度の高さはこれまでの類を見ない。織り込まれているのは家族の崩壊、世代間の格差、モラルや人間関係の崩壊、官能の世界、共産主義とファシストの対立による政情不安、科学の進歩と道徳の問題。 舞台となった館の素晴らしいこと。特に書斎の本棚の高さがちょうどいい。絵は少し量が多すぎる気がするが、暖炉といい、机といい、この重厚さと静けさは私も好むところだ。映画の冒頭、ずかずかと教授の家に入り込んで来るビアンカらの姿を見ていると、教授の気持ちになって苛々してきてしまうほどだった(最初、絵を勧められる教授を見て、美術史の教授なのかと思ってしまったが、途中でサイエンティストだとわかった。絵は趣味で、家族絵の蒐集をしているのだという設定は、相当後になってからでないとわからなかった)。 それに対比させるかのような改装後の階上の部屋のモダンさも見事。さすがイタリアだと思わせた。白を基調に原色があふれている。家具から絵から、何でもモダン風だ。まぁ、当時のモダンであって、本当に今のモダンではないのだろうけれど、それにしても対照的だ。 この対比はもちろん世代間のギャップを表現しているのだが、ほかにも多数世代格差を表現しているシーンがある。若い連中はとにかく電話をかけまくる。これはうざったいなと思うほどに誇張されている。 教授が最初にリエッタに降参するシーン「我々は言語が通じない」と笑うところで、彼が単に偏屈な老人などではないことがよくわかる。図々しくも他人の家の台所に入り込み、サンドイッチを食べてさっさと出て行くところ。食事をしようと言いながら姿を見せず、1ヶ月も音信不通なところ。誇張されてはいるが、最後に彼が総括するように、家族とはそういう身勝手なもので、わずらわしいものなのだ。内部での喧嘩を繰り返しながら、決して切れない絆を持っている。そういったマイナス面を彼は人生の中で引き受けてはこなかった。それなのに、その煩わしさを一度理解してしまうと、もとの孤独には戻れなくなってしまうとは皮肉なものだ。 教授は助言を求めるコンラッドを救おうとはしなかった。また、ブルモンティらブルジョアに裏切られ、出て行こうとする彼を引き留めはしなかった。憎みながらもすがっていた世界から拒絶されたと感じた彼が爆死して、教授は病に伏し、そしていずれ死ぬ。孤独な二人がせっかく出会うチャンスをみすみす逸した悲劇的な結末だ。 孤独な老人のもとにずかずかと入り込んでくる人たちと次第に疑似家族を形成していくが、一度だけ全員が揃った夕食をとり、和解したかのように見えた瞬間、あっという間に崩壊してしまう。この流れなんだが、絶対にどこかで見た気がする。もちろん、この映画を模しているのだろうけれど、おそらくテレビドラマだと思う。単なる既視感だろうか。 ヘルムート・バーガー演じるコンラッドはドイツ人で、1968年の学生運動に身を投じた左翼活動家だったにもかかわらず、今はファシストの実業家夫人の愛人をやっている。自分が戦っていた敵の金で暮らしているという矛盾のせいで、傲慢だが不安気で卑俗だが繊細で、時折高貴な顔立ちを見せる、そんな男をヘルムート・バーガーは見事に演じている。本当にヴィスコンティ作品の3本だけの役者だなぁと思う。 クラウディア・カルディナーレが、ほんの一瞬だけしか出てこない。あんないかにも友情出演(カメオ出演というらしい)役でも大物女優がはせ参じるところが、さすが。ドミニク・サンダもほんの数カットだけだが、非常に印象的だ。教授の回想の中に出てくるのだが、同じ書斎とは思えないようなライティングで、花に満ちている。どちらかというと、陰鬱な感じの本と絵の方が私は好みだが、この対比は見事だ。シルヴァーナ・マンガーノはどんどん落ちている気はするが、そこは役者。「ヴェニスに死す」「ルードヴィヒ」と立て続けの出演になるが、この作品が一番出番が多く、強烈だ。 遺作の「イノセント」とこの作品がヴィスコンティの晩年と言ってもいいだろう。落ち着いた、いい映画だった。 |