繰り返し言ってるが、松田奈緒子さんがデビューの頃からずっと好きだ。どこが好きか、簡単にいうと、まずスピード感、読後感の良さ、そしてナイーブさ。この3本はずっと変わらない。やっぱり最新作でも充分に見せてくれる。
「レタスバーガープリーズ.OK.OK!」では小説家と挿絵画家という、合わせると漫画家のような職業をもつ男女の、芸術家としての産みの苦しみを、「えへん、龍之介」で芥川龍之介という希代の文学者の作品へ向かう姿を描いた。順番は前後するが「少女漫画」という作品をヒットさせ、ドラマ化までさせた。ずっと女性誌のフィールドで活躍していたが、一昨年、少女誌に初めて連載をした。その連載終了後の舞台は初めての青年誌だった。それも小学館の青年誌だ。
デビュー前、木原敏江のもとでアシスタントをしていた作者は小学館の『プチフラワー』誌に持ち込みを続けていたが、デビューすることはできなかった(デビューは集英社)。それでも、その当時のことは漫画家としての糧になっているという。まさに、その小学館への恩返しなのかもしれない。
作者にとっては初めての青年誌連載のため、これまでと絵柄を少し変えている。もともとは繊細な線だが、とても柔らかい線なので、柔軟性が高いところがあったのだろう。そこを見越した編集者の眼力の高さには恐れ入る。が、だからと言って女性誌時代の良さが失われたわけではない。内容的にも変わらぬ繊細さが見られる。
内容的には出版業界を作家から書店までをトータルで描いた仕事漫画で、主人公は心という新人編集者なのだが、実は主役は「本」であって、それを読者に届けるために、どんな人たちがどんな思いでどんなふうに動いているかをすさまじくリアルに描いている。だが、いわゆる"業界お仕事もの"の枠を出て、"仕事とは"という問いを強烈に発している。
漫画編集者を主人公にしているのは、実の妹さんとご主人が編集者という環境も大きな影響を与えているだろう。営業、書店に対しても入念な取材もしているように推察できる。しかし大事なのはその素材をどう扱うかというところだ。
この作品で好きな場面はたくさんあるのだが、自分が一番気に入っているのは小泉くんが仕事の結果が目に見えた瞬間、電車の中で身体が浮かんで行ったシーン。そしてこうなってしまったら、引き返せないという感覚。本当の意味で仕事が自分のものになったとき。これは自分もはっきり覚えている。
小泉くんと違い、自分は新人時代から仕事は好きで一生懸命&長時間やっていたけれど、仕事が終わったら頭を完全に切り換えていた。そういうものだと思っていた。大枠としては先達の引いたレールに乗っていれば仕事を進めることが出来たからだろうと思う。それが完全にゼロからのスタートになって、本当に苦しんだ。誰も何も頼りにできず、自分の頭だけで何日も考えて、答えを見つけた瞬間のことだ。そのときはまさに「寝ても覚めても」という状態だった。これをその後もずっと「仕事が自分のものになった瞬間」と呼んで大切にしてきた。仕事の楽しさを忘れかけたときに思い出すよすがだった。
さて。松田奈緒子、羽海野チカ、久世番子の対談が『月刊スピリッツ』2013年5月号の付録についている。これも本書を読み解くには必要な一冊だろう。
ここで作者が言った、主人公の心について「自意識の薄い人」という言葉にすごく納得した。オリンピック代表にもなった人「なのに」ではなく「だから」自意識が薄い。低いではない。女性誌は青年誌に比べると心理描写の細密さが要求される。女性の心理の動きはは自分がどう見られるかとどうありたいかの戦いだから、自意識の濃くない主人公は成立しずらいのかもしれない。
それから「気持ちよく泣きたい」「いいところを見せたい、人のいいところを見たい」と思うようになった、とある。でも、作者の作品に登場する人物は、昔から気持ちのいい人物が多いし、いいところを見せてもらってる。だから、やっぱりそんなには変わってないのだと自分は思う。
最後のページに1ページ費やして関係者の名前を出している。今回は作家、編集、営業、書店のみだったが、本は実はもっといろいろな人が動いていて出されるものだ。デザイン、DTP、広告、印刷、製本、取次、流通...。営業と一言で言っているが、印刷会社とのスケジュール調整や紙の調達を行う部門も必ずあるし(制作と呼ばれることが多い)、読者対応・書店対応をしている事務方も別部門になっていることもある。自分のようなウェブ担当もいたりする(社の雑誌や本の発売日に一番神経質なのは自分と直販サイトにデータをあげる担当者だった)。こうやって多くの人がかかわる「本」が主人公のこの作品。いずれ最後の「読者」が登場するような気がしてならない。
書誌事項:小学館 2013.4.3 ISBN978-4-09-185040-9 (ビッグコミックススピリッツ)
初出:「月刊スピリッツ」2012年11月号~2013年4月号