03/22

2013

近藤ようこトークショーのレポート

近藤ようこ×坂口安吾「戦争と一人の女」原画展日時:3月16日(土) 14:00~15:30
会場:長井勝一漫画美術館
進行:手塚能理子(青林工藝舎代表取締役・『アックス』編集長)

長井勝一美術館で開かれた近藤ようこ「戦争と一人の女」原画展の終わり頃に手塚能理子さんが進行役をつとめられたトークショーが開催されました。手塚さんは近藤先生とはとても古いお付き合いで、近藤さんの作品については他社に描かれたものも含めとても詳しく、お話を上手にふっていかれたので、どんどん話が進んで行きました。
近藤先生のお話をメモするのがせいいっぱいだったので、手塚さんのお話はほとんど省かれています。自分が近藤先生の作品にどうして惹かれているのかがよくわかるお話もたくさんありましたので、ここに書けないのは残念ですが、ご容赦下さい。
終了後、本の販売会及びサイン会も開かれました。

○「戦争と一人の女」
戦争と一人の女カバー・カバーデザインについて
この本は女の人の下半身の後ろ姿が表紙だが、これは非常に珍しい。漫画のカバーで顔が一切出てこないのは売る方としては不安で、裏にちょっと顔を出させてもらった。これまで近藤さんの本をたくさん出しているが、カバーデザインについてはいつもデザイナー任せで、デザイナーの指示によってイラストを描く。今回は近藤さんの方から「絶対に女の人の下半身を使いたい」と言われた。悩んだが、内容を的確を現していると思った。井上則人さんというデザイナーに依頼。簡単に見えるデザインだが、文字をどこにおくか、とても難しかった(手塚)。

この絵にした理由は理屈では考えていなかったが、インパクトの強い絵を描きたかった。冒険だと思ったので、手塚さんにこんなのはダメだと言われたら他の絵を描こうと思っていた。

・この作品を描こうとおもったきっかけ
坂口安吾は前から好きだった。この作品を描く前に「夜長姫と耳男」「桜の森の満開の桜」を描いた。「戦争と一人の女」は長らくGHQの検閲後のものしか出版されておらず、あまり面白くなかった。2000年の筑摩書房の全集で初めて無削除版が出版され、その後、講談社文芸文庫に入った。それを読んでおもしろい小説だと思った。いかにも安吾の小説だと思った。その頃、戦争中の普通の人たちがどんなことを考えて、どんな暮らしをしていたのかに興味があって、調べていた。ちょうどこの無削除版と自分の興味が重なった。

・原作の小説について
しかし、この安吾の小説は観念小説であって、普通の人の生活を描写したものではない。「夜長姫と耳男」「桜の森の満開の桜」と同じような構造をもっていると考えている。小説家らしい野村という男は戦争にはどうせ負けるから、男はどうせ殺されるか奴隷にされるかいずれかだと思いこんでいる。その男が昔女郎だった酒場のマダムと知り合って、戦時中に限っての同棲生活をしている。この作品は実はすごく観念的で、女の実態が全然語られていない。「続・戦争と一人の女」という女の一人称の小説もあるのだが、女が自分のことを語っているように見えるが、本質は全然語っていない。一人称だから正直に話しているのだろうというトリックがあるが、女の本質は全然わからない。
この小説は男が主人公で、男の孤独や苦脳を女が映し出す装置としての女がいるという構造をとっている。これは「夜長姫」や「桜の森...」に出てくる生首を欲しがる女と同じである。お話としてはものすごく観念的だが、「夜長姫」や「桜の森...」が神話的・寓話的であるのに対して、「戦争と一人の女」は戦争という"現実"を背景にしたもので、その力がすごく強い。この"現実"を引き寄せて、この女にちょっと生身の感じを出したいと思った。

○「アカシアの道」
アカシアの道20年前、アルツハイマーをテーマにした作品を描いた。これは、編集者から「レーガン元大統領がアルツハイマーになったということが報道されている。自分はジャーナリスティックな考え方しか出来ない。アルツハイマーが話題になっているので、それで何か描けないか」と言われたことがきっかけ。

それは面白い題材だと思ったが、自分はジャーナリスティックな描き方は出来ないし、好きではない。だったら自分の土俵に引っ張り込んでやるしかない。そこで、親子関係がうまくいっていないのに、母親がアルツハイマーになり、娘が苦労するという形にもっていった。

今は認知症と言われているが、当時アルツハイマー型の痴呆と言われていて、一応文献や症例は読んだ。NHKから「モデルは誰か、取材はどこでしたのか?」と聞かれたが、そういうものは一切なく、全てフィクションだと言ったら、すごくがっかりされた。ジャーナリズムの人たちは本当のことが尊いと思っているようで、漫画家としてはがっかりした。

また、『週刊アクション』で連載していたのだが、読者のお便りに「主人公が一人でこんなに苦しんでいるのはおかしい、今はもっと福祉が充実しているのだから、そういう制度を利用すればいい。漫画の中でそういった施設を紹介して欲しい」というものがあった。福祉は確かにあるが、それで救われている人ばかりではない。漫画を何かを告知したり啓蒙したりする手段としてしか見ていない。漫画は漫画家の創作物であって、何かをわかりやすく宣伝したり、告知するものではないと思い、がっかりした。

○「ホライズンブルー」
ホライズンブルー児童虐待をテーマにした作品。

私自身も母親とあまりうまく行ってなかった。この頃、幼児をもったお母さんむけの雑誌の仕事を少ししていた。その雑誌を読んでいたとき、読者のお便りのページで3~4歳の子供をもつお母さんが「どうしても子供をかわいがれない」という悩みを書いて投稿していた。「本当はかわいいのだが、自分の余裕のないときに泣きながらまとわりつかれると、すごくいやだ。そういう自分もいやだ」というお便りだった。その投稿が記憶に残っていた。子供の虐待というのは10年くらいの周期で話題になる。その頃ちょっと雑誌の特集などに取り上げられていたりした。世の中には表に出ていないけれど、虐待されている子供も苦しんでいるが、している親も苦しいのだろうということが見えてきたので、このテーマで描いてみようと思った。

それまでは親が自覚的に苦しんでいるということを知らなかったので、実際にこういう人がいるんだということに驚いた。子供の虐待は親が悪い、子供がかわいそうという一面的な描かれ方しかなかったが、親の方を考えるともっと違う局面が描けるかなと思った。

○「水鏡綺譚」
水鏡綺譚角川書店の少女漫画誌『ASUKA』で連載されていたが、人気がなくて途中打ち切りになった。角川から上下巻の単行本になって出ている。連載が終わってから5年目くらいだと思うが、「水鏡綺譚」は最後まで描いてないので、それ(50ページくらい)を描き足して本にしたい」と申し出があった。これから続きを描くのかと驚いた(手塚)。

やっぱり終わらせたかったので、青林工藝舎さんなら続きを描かせてくれて本にしてくれるだうと思い、お願いした。角川から出した上下巻をまとめたのでこんなにぶ厚く値段も高いが、2冊分なのでお得かもしれない。「見晴らしガ丘にて」も30年近く前のものなのに、絶版ではなく手に入る本があり、買って下さる方がいるということは漫画家冥利に尽きる(近藤)。

これを出した後、同業者の漫画家に「完結を待っていた」とずいぶん言われた。これは別れと再生の話で、悲しくもあり、たくましくもある物語。あとがきを読んで泣いた。確かに、才能がないと描けないのだが、近藤さんは作品に注ぐ力が並大抵ではない。近藤さんの中世ものを読みたい方には入門書として「水鏡綺譚」を勧める(手塚)。

○「小栗判官」
小栗判官中世ものは好きなので描いているが、学術的に正しいわけではない。他の人は知らないので適当に描いてもわからないし、お話としてもあまり知られていないものがあるので有利だと思っている。「小栗判官」は江戸時代の人はみんな知っていたと思うが、今はほとんど知られていないお話で、室町時代末期の説経節の一つ。何年か前に宝塚で小栗をやったときに(2009年「オグリ!」)主演女優のインタビューに私の漫画を読んでいたと出ていた(asahi.comの宝塚花組・壮一帆インタビュー)。「小栗判官」は現代語訳が出版されていないので、原文もそんなに難しくはないが慣れないと読みにくいようで、わかりやすく漫画で読んだのだと思う。

「小栗判官」が特に印象深いのは、描いていた途中で昭和が終わり、手塚治虫先生がお亡くなりになった。ちょうど節目の頃だった。また、自分が「小栗判官」を描く前に横浜ボートシアターという劇団が運河に浮かべた船で小栗を上演(1982年初演「小栗判官照手姫」)。1985年、新宿のシアタートップスのこけら落としでも上演された。それは東洋文庫の原文をそのまま役者たちが語っていた。それが素晴らしく、インスパイアされて漫画に描きたいと思ったのがきっかけだったのだが、そのシアタートップスも去年閉館された。いろいろな意味で長い間漫画を描いてきたのだなと感慨深い思いだった。


○「アネモネ駅」
『通販生活』がつげ義春の代表作を一通り再録をした後、描き下ろしで連載していた短篇集。

○デビュー当時のお話
自分は『ガロ』で育てていただいたわけではなく、実際はあまり『ガロ』には描いたことがない。投稿作「ものろおぐ」を載せてもらったが、初めてちゃんと描いたのが「ホライズンブルー」。何故これを『ガロ』で描けたかというと、その当時『ビッグコミック』で連載していたので、生活が安定していたから。『ガロ』と『ビッグコミック』同時に描いていた漫画家は多分私と、もしかしたら初期の水木しげる先生だけだったと思う。そういう変な漫画家なのでホームグラウンドが全然ない。

『ガロ』には投稿したものを載せてもらっただけで、その後は『劇画アリス』 で描いていた。『劇画アリス』はすごくマニアックな雑誌だった。『アリス』で出たのは、桜沢えりか、岡崎京子、田口トモロヲ(田口智朗名義)など。その当時の『アリス』はエロ劇画を中心にしていたが、編集長がちょうど米澤嘉博さんだった時代。自分は大学4年生だった(近藤)。

「ものろおぐ」は渡辺和博が長井勝一に勧めた。近藤さんを世に出したお二人はすでに亡くなっている(手塚)。

『ガロ』に載る人は何度も投稿したり持ち込みしたりして、長井さんに厳しく審査されたりするらしいが、私は一回なんとなく送って、載せていただいたので、それで満足した。第三者の評価があったと思ったので。『ガロ』は原稿料が出ないので、『劇画アリス』などに描いていた。でも一回だけ描いた『ガロ』に渡辺和博さんの「熊猫人民公社」という漫画が載っていて、それが大好きだったので、とても嬉しかった(近藤)。

○長井勝一の思い出
私はほとんど『ガロ』と関係がなかったので、長井さんとあまりお会いしたこともなかったが、デビューする前に学生の頃、友人が青林堂に漫画を買いに行きたいと言って、神保町の材木屋の2階に、狭い急な階段を上って行った。ドアを開けると、そこに長井さんがいらして、宇野重吉みたいな人がいるなと思った。友達が永島慎二の「漫画のおべんとう箱」を買いに行って、長井さんがそれを風呂敷に包んでくれた。もう一回友達と行ったときには、唐十郎の「糸姫」という劇の篠原勝之さんの絵のポスターが貼ってあった。欲しいねと友達と言っていたら、「それは先手必勝だな」と長井さんに言われた思い出がある。


○質問コーナー

Q:心理学とか勉強されたことはありますか?
A:若い頃は『現代のエスプリ』とかムックみたいなものを読んでいました。

Q:雑誌『奇想天外』でお見かけしたことがあるのですが、描かれていましたか?
A:本誌は小説ですが、『マンガ奇想天外』に短篇を描いていた。高野文子さん、大友克洋さん、吾妻ひでおさん(「不条理日記」)らが載っていた。おもしろい良い雑誌でした。

Q:今日お着物かと思っていたのですが、最近のお着物ライフはいかがですか?
A:震災の後はなんか余裕がなくなって、あまり着なくなりました。特に理由はないが、落ち着かない感じになってしまいました。今年も着たのは新年会とあと1回くらい、前はもっと着ていたのですが。本当は今日も着てくればいいかなと思いましたが、心身ともにゆとりがないと着物はなかなかゆったり着られないなということがわかりました。

Q:エッセイに「他人の自由は尊重しましょう」という文章があったが。
A:他人に迷惑をかけなければ、どんなことを考えても自由だと思う。自分の自由を尊重してもらいたいから、他の人の自由も認めるということです。東京都の条例で漫画の規制が行われている。ある作品は描くのは自由だが売ってはいけないというもの。その基準は審査会みたいなものもつくられてはいるが、わりと恣意的に進められているもので、それは危険だと思っている。東京の森美術館で会田誠さんの絵が問題視され公共の場で展示してはいけないと訴えている団体がある。会田さんの絵を見て不愉快に思う人が大勢いるのはわかるけれども、人の感覚によって発表の場を奪われるということはやってはいけないことだろうと思う。他人の自由を奪うことは自分の自由も奪われることを覚悟しなければならないからです。都条例のとき、漫画の自由を守るのなら、石原慎太郎がひどい小説を書いて発表する自由も認めねばならない。それは大事なことだと思っている。

長井勝一漫画美術館のイベント
青林工藝舎「アックス」編集部だより