2013年3月のエントリー一覧

03/31

2013

重版出来!第1巻/松田奈緒子

重版出来!第1巻繰り返し言ってるが、松田奈緒子さんがデビューの頃からずっと好きだ。どこが好きか、簡単にいうと、まずスピード感、読後感の良さ、そしてナイーブさ。この3本はずっと変わらない。やっぱり最新作でも充分に見せてくれる。

「レタスバーガープリーズ.OK.OK!」では小説家と挿絵画家という、合わせると漫画家のような職業をもつ男女の、芸術家としての産みの苦しみを、「えへん、龍之介」で芥川龍之介という希代の文学者の作品へ向かう姿を描いた。順番は前後するが「少女漫画」という作品をヒットさせ、ドラマ化までさせた。ずっと女性誌のフィールドで活躍していたが、一昨年、少女誌に初めて連載をした。その連載終了後の舞台は初めての青年誌だった。それも小学館の青年誌だ。

デビュー前、木原敏江のもとでアシスタントをしていた作者は小学館の『プチフラワー』誌に持ち込みを続けていたが、デビューすることはできなかった(デビューは集英社)。それでも、その当時のことは漫画家としての糧になっているという。まさに、その小学館への恩返しなのかもしれない。

作者にとっては初めての青年誌連載のため、これまでと絵柄を少し変えている。もともとは繊細な線だが、とても柔らかい線なので、柔軟性が高いところがあったのだろう。そこを見越した編集者の眼力の高さには恐れ入る。が、だからと言って女性誌時代の良さが失われたわけではない。内容的にも変わらぬ繊細さが見られる。

内容的には出版業界を作家から書店までをトータルで描いた仕事漫画で、主人公は心という新人編集者なのだが、実は主役は「本」であって、それを読者に届けるために、どんな人たちがどんな思いでどんなふうに動いているかをすさまじくリアルに描いている。だが、いわゆる"業界お仕事もの"の枠を出て、"仕事とは"という問いを強烈に発している。

漫画編集者を主人公にしているのは、実の妹さんとご主人が編集者という環境も大きな影響を与えているだろう。営業、書店に対しても入念な取材もしているように推察できる。しかし大事なのはその素材をどう扱うかというところだ。

この作品で好きな場面はたくさんあるのだが、自分が一番気に入っているのは小泉くんが仕事の結果が目に見えた瞬間、電車の中で身体が浮かんで行ったシーン。そしてこうなってしまったら、引き返せないという感覚。本当の意味で仕事が自分のものになったとき。これは自分もはっきり覚えている。

小泉くんと違い、自分は新人時代から仕事は好きで一生懸命&長時間やっていたけれど、仕事が終わったら頭を完全に切り換えていた。そういうものだと思っていた。大枠としては先達の引いたレールに乗っていれば仕事を進めることが出来たからだろうと思う。それが完全にゼロからのスタートになって、本当に苦しんだ。誰も何も頼りにできず、自分の頭だけで何日も考えて、答えを見つけた瞬間のことだ。そのときはまさに「寝ても覚めても」という状態だった。これをその後もずっと「仕事が自分のものになった瞬間」と呼んで大切にしてきた。仕事の楽しさを忘れかけたときに思い出すよすがだった。

重版出来!対談さて。松田奈緒子、羽海野チカ、久世番子の対談が『月刊スピリッツ』2013年5月号の付録についている。これも本書を読み解くには必要な一冊だろう。

ここで作者が言った、主人公の心について「自意識の薄い人」という言葉にすごく納得した。オリンピック代表にもなった人「なのに」ではなく「だから」自意識が薄い。低いではない。女性誌は青年誌に比べると心理描写の細密さが要求される。女性の心理の動きはは自分がどう見られるかとどうありたいかの戦いだから、自意識の濃くない主人公は成立しずらいのかもしれない。

それから「気持ちよく泣きたい」「いいところを見せたい、人のいいところを見たい」と思うようになった、とある。でも、作者の作品に登場する人物は、昔から気持ちのいい人物が多いし、いいところを見せてもらってる。だから、やっぱりそんなには変わってないのだと自分は思う。


最後のページに1ページ費やして関係者の名前を出している。今回は作家、編集、営業、書店のみだったが、本は実はもっといろいろな人が動いていて出されるものだ。デザイン、DTP、広告、印刷、製本、取次、流通...。営業と一言で言っているが、印刷会社とのスケジュール調整や紙の調達を行う部門も必ずあるし(制作と呼ばれることが多い)、読者対応・書店対応をしている事務方も別部門になっていることもある。自分のようなウェブ担当もいたりする(社の雑誌や本の発売日に一番神経質なのは自分と直販サイトにデータをあげる担当者だった)。こうやって多くの人がかかわる「本」が主人公のこの作品。いずれ最後の「読者」が登場するような気がしてならない。

書誌事項:小学館 2013.4.3 ISBN978-4-09-185040-9 (ビッグコミックススピリッツ)
初出:「月刊スピリッツ」2012年11月号~2013年4月号

03/29

2013

ひきだしにテラリウム/九井諒子

ひきだしにテラリウムamazonというかイーストプレスのwebマガジン「Matogrosso」(→このリンクはamazonを経由せずに直接見ることが出来ます。やり方はこちら。)などで連載されたショートショートの連作集。8ページ程度の小さな作品が33篇もつまっている。この人の頭の中にはすごくたくさんのアイディアがつまっているのだろうなと思ってしまう。無理矢理ひねり出しているようにはとても思えない。全部おもしろいが、特に気に入ったものをピックアップ。

「すれ違わない」
この鼻にプスっとさされているのはどんな材質なのだろう?とすごく気になった。"昔の少女マンガ風"の絵が、とてもよく雰囲気をつかんでいる。そして「資料不足」2件に爆笑。

「かわいそうな動物園」
この動物園ではどうして生まれた動物を殺さなくてはならないのか、最初はわからないが、鳥の視点を描いたところで、「あっ」と気付き、最後に落ちてきた葉っぱで、この動物園がどんなものなのかがわかる仕組み。「オリーブの葉」ではっきりわかるんだけど、わかる人ばかりではないかもしれない。

「パラドックス殺人事件」
役になりきり過ぎた俳優が、作中人物の苛酷な運命に嫌気がさし、その作品を創り出す神=脚本家を殺す。しかし神である脚本家が死んでしまうと、その劇中世界がなくなり、犯行動機にパラドックスが発生する、というお話。これを読んでサルバトール・プラセンシアの「紙の民」を思い出した。作中人物がいつも自分たちを見張っている土星に抗して戦うが、土星とはすなわち作者だったという話。

「未来面接」
地球のために敵と戦う人型ロボットに搭乗するパイロットを選ぶのは普通に面接でした。ところで何故中学2年生なのか、ガンダムとかエヴァとか詳しくないのでわからないが、きっと理由があるのだろう。この作品はあの辺のアニメ詳しくないと、味わいが違うのだろう。

「代理裁判」
相手の反応について、これはどうなんだろうと考えることは日常的にもよくあることだ。それを裁判の形式にしたお話。最初の裁判はよかったんだけど、後の方の裁判はイタイ。自分で冷静になっているつもり(検察側)でも甘甘の弁護士になっていることは、よくある...かも。

「スットコ訪問記」
これは絵柄が二種類に分かれている。漫画家目線の部分はいかにもエッセイ漫画風の絵柄だが、地元の少年の目線ではきちんとした絵柄になっている。旅行者が写真を撮っている意味が彼にとって「笑われている、バカにしている」という意味だったのが「大切に思っている」意味だとわかっていく流れがいい。スケッチできる才能が羨ましい。

「春陽」
これはお気に入りの一つ。ペットとしてこびとがいるなんて。猫などペットと同じ感じなので、なじみがあり、ほのぼのとさせられる(そこを逆手に取って次につなげるのだけど)。ショートショートなんで無理だが、中編くらいで、このパターンで「子供がいたら」を描いてくれると、更に面白いかもしれない。次の「秋月」とシンメトリーというか裏表になっている。

「秋月」
安全に安楽に囲われている女性と"自由"を唱える男と、女性を管理・世話する機械。まさしく女性=こびと、男=野良猫、機械=飼い主を描いて「春陽」と裏表。ペットへの我々の愛はこの機械のようなものなのかもしれないと一瞬思わせてゾっとするが、ちゃんと希望をもたせて終わる。本格SFというか古典的なSFマンガっぽい絵柄を意図的に採用している。

「パーフェクトコミュニケーション」
音ゲーとコミュニケーションは確かに「条件反射」の部分があって、それをベースにしないとパニックを起こしてうまくいかない点が似ている。パニックを起こしていろいろ考えても、結局は「かわいい」(ポーン)で飛んでしまうところがいい。
コミュニケーションに難のある人にソーシャルスキルを教える本に出てきそうなお話。「狼は嘘をつかない」でも実用本のパロディ化が使われていたが、この作品にも似たものを感じる。

「ショートショートの主人公」
本書の中でも最も秀逸な作品の一つ。漫画のジャンルを上手にパロディにしている。確かに、人は誰しも主人公ではあるが、それは何の主人公かということがポイントで、「自分の物語の主人公」のはず。たまたま漫画的な両親だったからおかしなことに......?「ショートショート」というジャンルについて研究した作者にとっては最後の一言が本音だろう。

「神のみぞ知る」
とても残酷な日本昔話かと思ったら、とても暖かな日本昔話だった。うまい。

「すごい飯」
食生活が貧しく、食に無知なこの友人の方が、逆に幸せなんだろうと思わせるオチ。グルメ漫画へのアンチテーゼか。それにしても、彼の「食べたもの」の表現が何とも言えず、全然おいしそうではない。けれど、彼自身は実は味オンチではなく、想像力も感受性も豊かな人なのだろう。意外にいろいろと教えれば育つような気がするが、知ってしまったらもうあの味は失われてしまうのだろう。

「ひきだし」
ひきだしの中にテラリウムでつくった世界があった...という表題作。かなり大がかりにできる設定なのに、すごくあっさりと落としているところがいい。

「こんな山奥に」
主役のカップルを除き、お店の店員やお客さんたち、全員キツネだろうと思うのだが、違うかな?

「未来人」
最初に登場したアイテムが再び登場して、大縁談!爽快な気分で読み終えたところに、再びの「資料不足」で笑わせてくれる。さすが。


絵柄を作風に合わせて意図的に変えている、というのはマンガを一つの道具というか材料として扱っているメタ漫画的な面もあり、漫画表現に対する遊び心も満載だ。なんという才能だろう。友人たちにも読んでもらって、これがよかった、あれが面白かったと語り合いたいと思わせる、非常に珍しい作品だった。


イースト・プレス 2013年3月27日 ISBN978-4-344-02273-7

【特集】ひきだしにテラリウム カバー/見返しイラストのエピソードMAP(良いコミック)

03/22

2013

すーちゃんの恋/益田ミリ

すーちゃんの恋前作「どうしても嫌いな人」に比べると「すーちゃん」や「結婚しなくていいですか」の頃に戻ったような「すーちゃん」シリーズ第4弾。仕事に前向きなすーちゃんが帰って来たからそう感じるのだろう。本書では、すーちゃんはカフェを辞めて、保育園の給食をつくる仕事をしている。子供たちの喜ぶようにと食事を工夫し、自宅で試作品をつくったりする、そんなすーちゃんが戻って来た。「おおきなかぶ」「どろんこハリー」といった絵本の定番とからめているところもいい。

偏食のある子供は甘やかされているからなどという単純なものではないことに気付く。子供にはそれぞれのこだわりがあるもので、問題のある状況を自分なりに少しずつ調整していくものだ。すーちゃんの仕事柄、子供はお客さんだから、そういったことを理解していくことは重要なことだ。

子供の"それぞれ"を尊重するのなら、何故大人の"それぞれ"を尊重できないのか、と言いたいのかもしれない。「子供を産む人生、産まない人生」と帯にあるが、本の中では「産まない人生」のいつまでたっても「このままでいいのか?」という感じ、「産む人生」の「なんとなく取り残されている」感じ、その両方を描いている。このテーマを描くとなると、産もうが産まなかろうが、それぞれでいいのにという方向へもって行くよりほかないのだが、それぞれに説得力をもたせられているかどうかは、この段階では判断しかねる。

すーちゃんの"恋"の方は、34と37歳の恋愛なんて、プライドもあるし、意外とお互い臆病になりがちなのかもしれない。いろいろと考えながらのメールのやりとりなど、"こんな感じなのかもね"と思えるように出来ている。

幻冬舎 2012年11月10日 ISBN978-4-344-02273-7

03/21

2013

泣き虫チエ子さん/益田ミリ

泣き虫チエ子さん 1泣き虫チエ子さん 2

結婚10年以上を経過した夫婦二人の日常を描いた作品。ブームにのりやすい妻とあえてそれにのってあげる夫、バレンタインのチョコを夫にあげても自分で食べる気満々の妻、子供の頃の話をする二人、物を捨てるのが苦手な夫(or妻)と物を捨てるのに躊躇のない妻(or夫)という組み合わせ、メニューを決められない夫(or妻)と決断力のある妻(or夫)という組み合わせ。「そうそう、あるある」という感じのする二人の日常が繰り広げられている...と思う面もあるが、それは1/3くらいだ。私にとっては残り2/3は違和感ばかり。

こんな書評があった。

【オトナ女子コミック部】誰かと一緒の毎日はこんなにも楽しい『泣き虫チエ子さん』(独女通信)

「誰かと一緒に暮らすことで人生が豊かになる」...(略)...『泣き虫チエ子さん』は、その豊かさを、さらりと気負いなくスケッチした愛の讃歌なのです。

とても良い書評だと思う。けれど作品自体にはすごく違和感を覚えてしまう。"誰かと一緒に暮らす豊かさ"を多くの人に共感してもらえるよう表現しようとしたせいなのかもしれないが、"誰かと一緒に暮らす豊かさ"はもっと面白く楽しいものではないか。それを意図的に"日常のささやかな楽しみ"に求めてしまったが故に、逆に"家庭というものにあるべき何かが欠落していることによって、その欠落感を埋めるためにつくり出した豊かさ"といった作為を感じてしまう。

私の友人には夫婦二人暮らしの人が多い。おそらく仕事の出来る、仕事の好きな女性が多いからだろう。仕事をもったまま育児をしている人もいるが、やはり仕事への集中度が高いため、子供がいない方が望ましいと判断した人の方が多い。結婚して10年以上の人たちがほとんどだが、みんなとても仲が良い。もちろん、少しの愚痴は言っているが、むしろそれも笑い話になるような内容。女性に経済力があり、男性に家事力があることが多く、もし仲が悪くなったらあっさり別れることが出来る。だからこそ結婚し続けているということは、仲が良いに決まっている。もちろん意識してそうあろうと努力している面もあるだろうけれど、自然と仲の良いままの人たちが多いのではないかと感じている。


彼等にはたいてい共通の趣味がある。それは結婚前からあるものと、結婚後に調整しながらつくったものとがある。お酒が好きで、二人とも飲んで喋っていれば楽しいという人たち。スキーやテニスやゴルフといった共通のスポーツを好んだり、海外の手間暇のかかるクルマをいじるのが好きな人たち。海外旅行好き、国内旅行好き、映画好き、ゲーム好き。オットはアニメでツマはマンガで二人ともオタク等々。夫婦二人で出来ることはたくさんあるし、楽しんでいることが多い。この作品に登場する夫婦は国内旅行に行ったり、外食したりはあるけれど回数が少ないし、何より二人が淡々と仲良く暮らしているが、すごく楽しそうにしている場面が少ないことに違和感を覚える。

また、少なくとも30代40代の夫婦が「ぬいぐるみに言いつける」とか「ときどき二人でトランプをする」というのはちょっと考えにくい。その年代で待ち合わせて二人スーパーで買い物が出来るほど仕事に余裕のある人もあまりいないし、時間があってもそんな非効率なことをする人はいない。片方で動けば良いのだから。最近ではペット可マンションも多いし、それほど忙しい仕事でないのなら、ペットを買っている人もいるだろう。もっと言うなら、二人っきりで住んでいるのにこんなに頻繁にお互いの名前を呼んだりするものなのか?

自分にとって物語が"リアルである"とはどんなことだろうとよく考える。"現実的"という言葉通りの意味なのだとしたら、SFやファンタジーでは感じられないはずだが、そんなことはない。SFやファンタジーでも充分"リアル"を感じる。ひょっとして登場人物の心理的なものかもしれない。キャラクターの設定かもしれない。煎じ詰めれば総合的な"完成度"なのかもしれない。

この作品があまりにも"リアルではない""無理に仲良くしようとしているように見えて、かえって切ない"と感じてしまうのは、私だけなのか、そう感じる人は他にはいないのだろうか?若い人たち、例えば20代の独身女性向けに"夫婦二人でもこんなふうにほんわかと暮らしていけるんだ、いいかも"と思わせるために作り上げた夫婦像に過ぎないと思うのだが、どうだろうか?そして完成度が低いが故に、上手に共感を呼び起こせる部分と、どうも作為的な部分とに分かれてしまっているように見える。

単に自分は"歯ブラシがくしゃくしゃなのを見て結婚を決意する"みたいな話が嫌いなだけなのかもしれない。"愛人の髪についたラーメンの汁の小さな球を見て別れを決意する"という片岡義男的な「だからどうした」話が昔から嫌いだ。それはリアルかリアルでないかということではなく、そんなミニマムな話に対して共感を強要されても、おしつけがましいだけだと感じるせいだろうと思う。そのおしつけがましさがところどころ顔を出す。計算高いが、計算し尽くされていないからだろう。

集英社
1巻:2011年12月25日 ISBN978-4-782422-3
2巻:2013年2月28日 ISBN978-4-892489-6