Transit (Visado de Transito), 1944
トランジット
藤本淳雄訳 「新集世界の文学 42」中央公論社 1971.12.20 ISBN4-12-400272-6 1,200円
この作品は一風変わった作風をもっている。まるでカフカかベケットだ。現実にあった出来事からとられているのに、不条理の世界のようだ。
トランジットとは通過査証のこと。第二次大戦直前のマルセイユはヴィザ、旅券、トランジットと多数の書類を揃えて他の国へ逃げようとする人々でごった返している。見知らぬ人たちのトランジットを巡る噂話の騒音が音楽のように奏でられている。
「わたし」ザイドラーはナチの突撃隊員を殴ったかどで強制収容所にいられるが、ドイツ軍のフランス侵入の際にライン川を泳いで脱走し、多くのフランス人難民とともに移動する。パリへ着くと昔の恋人のビネ家の世話になる。友人パウルから依頼されて、詩人ヴァイデルへその妻からの手紙を届けようとするが、宿泊先のホテルを訪ねるとヴァイデルは自殺し、未完成の原稿ほかの入ったトランクを預かるはめになる。その中にはヴァイデルに対しマルセイユのメキシコ領事館からの「ヴィザと旅券を用意している」という手紙が入っていた。パリのメキシコ領事館に引き取ってもらおうとするが、拒否される。
南に疎開したイヴォンヌ・ビネのところへ赴くと、避難民証明書や住民登録証、占領地区通過証の手続きをしてくれ、更に、海辺の桃の農園で働けるように手配してくれる。親切にはしてくれるが、迷惑な存在であるため、その準備が整うまでマルセイユに住む従兄弟のジョルジュ・ビネを頼るよう言われる。
マルセイユは他の場所へ移動する意志があるという証明書がなければ滞在できない、という不可思議な状態になっていて、とりあえず渡航目的のため、という名目で一ヶ月の滞在証明書を発行してもらう。ヴァイデルのトランクを渡すためメキシコ領事館へ赴くと「ザイドラー=ヴァイデル」と勘違いされ、同一人物である証拠がなければ旅券とヴィザを発行してもらえない、といわれる。
一月後、退去命令が届くと、やむを得ずメキシコ領事館で「ザイドラーとヴァイデルが同一人物であることを証明する手続きが遅れている」という証明書を発行してもらい、滞在を延長できるようにする。
‥というように延々と書類の発行と手続きのややこしい話が続くのだが、これがゼーガース自身が「ほとんどすべてを実際に体験した」ことだというから驚く。コメディなのかと思えるほど、ひどいビューロクラシーで満ちあふれている。
この後、ヴァイデルの妻マリーが現れるが、これ以上あらすじは割愛することにする。渡航手続きにまつわる多数の笑えるに笑えない、悲惨なエピソードが織り込まれつつ物語は進行する。ゼーガース自身がパリを逃れ、メキシコへ到着するまでにあちらこちらに寄らなければならなかった、その逃亡の長旅の成果が「官僚主義批判」という形で結実している作品であると言えよう。
おもしろいのは、主人公の「わたし」が実際は渡航目的でマルセイユに来たわけではなく、フランスの他の地に目的地があって、それまでの滞在にすぎない前提があるため、必死にトランジットを取得しようとしているわけではないところだ。だからこそ、本人は意図的に嘘(ヴァイデル=ザイドラー)をつく必要もなかったし、マリーの渡航が近づくと、本気で渡航手続きをとって実際に整えてしまったり、マリーが今でも幻のヴァイデルを追いかけていることを知ると、あっさり旅券を人に渡してしまったりする。巻き込まれているようで、ある程度距離のある客観的な目でマルセイユに集まる人々とトランジットをめぐる騒動を眺めている、という語り口になっている。
一方、多くの逃亡者・亡命者の中には様々な人物がいて、いつも連れを裏切って置き去りにするアクセルロートのような人物もいれば、片足を失って仲間に助けられて逃げてきたハインツのような人物もいる。ハインツの逃亡にはザイドラーも協力し、無事に脱出するが、この人が出てくる場面はいつものゼーガースの調子が読める。人と人との「信頼」を信じているからハインツは強いのだ、と。
多少いつものゼーガースと趣は異なるが、亡命者の不安を描いた作品としては非常に素晴らしいものの一つだろうと思う。
2001.11.4