Anna Seghersアンナ・ゼーガースの文学

Die Kraft der Schwachen, 1965

弱者の力

「弱者の力」というタイトルからして、普段は力ない一人の「民衆」が大きな力を発揮する姿を描いた作品を描き続けてきたゼーガースの真骨頂。戦後の作品の中では私は最も好んだ一作。
第1話 Agathe Schweigert「アガーテ・シュヴァイゲルト」
第2話 Der Führer「案内人」
第3話 Der Prophet「予言者」
第4話 Das Schilfrohr「葦」
第5話 Wiedersehen「再会」
第6話 Das Duell「決闘」
第7話 Susi「ズージー」
第8話 Tuomas beschenkt die Halbinsel Sorsa「ソルサ半島へのトォーマスの贈り物」
第9話 Die Heimkehr des verlorenen Volkes「失われた部族の帰還」

第6話「決闘」を除く全作品

Meilensteine 4
『Meilensteine 4』岐阜大学教養部ドイツ語研究室編 1990.3.1 初見昇教授退官記念号

第一話 アガーテ・シュヴァイゲルト(初見昇訳)
第二話 案内人(清水純夫訳)
第三話 予言者(初見昇訳)
第四話 葦(伊東英訳)
第五話 再会(松尾誠之訳)
第七話 ズージ(末永豊訳)
第八話 トーマスからの贈物(洞沢伸訳)
第九話 失われた部族の帰還(一條正雄訳)
解題(初見昇)
あとがき(一條正雄)


Agathe Schweigert

アガーテ・シュバイゲルト

グルーペチュ
河野富士夫, 松本ヒロ子, 貫橋宣夫, 河野正子訳 「グルーベチュ―アンナ・ゼーガース作品集」 同学社 1996.10.1 ISBN4-8102-0096-5 2,500円 261p

アガーテ・シュバイゲルトは、洋裁品店を営む平凡な女性である。村から一歩も出なかったように、非常に狭い世界で生きてきた。ところが、成長を楽しみにしていた息子が反ナチ活動に身を投じ、フランクフルトからパリへ逃れる。
彼女が村からパリへ行こうと決意する際には、息子に会いたい一心だった。パリで会えなかったためにツールーズへ行き、更にスペインへと向かう決意をする。「戦時下のスペインへ行って、誰かのお荷物になるだけ」と言われるが、「誰の迷惑にもならない。自分一人の面倒はずっと自分で見てきた。」力強く宣言する。学校を終えてからすぐに母の手伝いをはじめ、まもなく母を亡くし、結婚はしたものの夫をすぐに亡くし、息子を一人で育てて大学までやった、平凡な、しかし自信に満ちあふれた言葉は、一人の「生活者」の「力」である。
旅の中で様々な人に助けられていくうち、アガーテは次第に変化していく。そんな母親がスペインまで来たことを知った息子は母に手紙を書く。かつてはハーケンクロイツを縫いつけていた母に激怒したこともあったが、今の母は自分のためにだけやって来るのではない、ということを感じているからであろう。無知だった母親を誇りに思うようになる。
しかし、すぐに戻ると言った息子が戦死したために結局は会えない。そのことが更にアガーテを強くさせ、ドイツに帰国するのではなく、この地で息子の遺志を継ぐことを決意させる。洗濯や繕い物やけが人の介護をし、野戦病院で必死に働く。その後スペインが破れ、フランスに逃れた後も病気になった息子の友達を助ける。
政治的に無知な女性が息子への愛情から、新しい地平へと目覚めていく。平凡な「母の愛」が普遍的な力となる。息子だけに向けられていた愛情が、すべての「息子をもつ母親」の気持ちになっていくことで、大きく、人間すべてに向かって力強く羽ばたく、そんな物語である。
1972年、この作品はDDRの国営映画会社DEFAによってテレビ映画になった。「アガーテ・シュバイゲルトの大きな旅」という名前である。
Die Große Reise der Agathe Schweigert, 1973 (TV)
Directed by Joachim Kunert
Cast:Helga Goring (Agathe Schweigert), Holm Henning Freier, Helmut Gaus, Gunter Naumann, Gunter Wolf


Das Schilfrohr

女と男の変奏曲
小林佳世子訳 「女と男の変奏曲」早稲田大学出版部 1993.8.31 ISBN4-657-93414-7 (現代ドイツ文学) 2900円

ナチ政権下、ベルリン郊外の湖畔に住むマルタは、無口でしっかりした若い女性である。父に死なれ、兄と弟を出征させ、一人で農場を切り盛りし、家を管理している。ある日、この家に反ナチ運動をしているクルトという青年が逃げ込んで来る。最初は彼の存在を黙認していたが、次第に積極的にかくまうようになる。彼にニュースを解説してもらい、様々な知識を教えてもらう。
そのうちクルトへの愛情を覚え、献身的にかくまうのだが、戦争の終結によりクルトは去ってベルリンへ行く。しばらく後、婚約者を伴い再びマルタの前に現れ、戦時中の行為を感謝される。
結果的にマルタはクルトに裏切られることになるのだが、彼の政治的な教えは彼が「自分の考えをしっかりともつ」女性に成長させる結果となる。復員して来た兄や兄嫁の意地悪に屈することなく、自分の意見を発するようになる。隣にやって来たやもめと結婚し、幸せに暮らすようになる。
マルタが少しずつ政治的にというよりは「人間」として、目覚めていく過程が簡素な文章によって、がっしりとした重さをもって表現されている。生来のねばり強く、力強く、賢いドイツ女性が、教育によって大きく成長し、生活者として戦時中~戦後を生きている姿がすがすがしい。
標題の「葦」はマルタがクルトをゲシュタポの追跡から隠すために思いついた方法で、水中に潜り、葦から空気を吸うというもの。
1974年にこちらもテレビ映画化されている。「アガーテ・シュヴァイゲルトの大きな旅」と同様、ヘルガ・ゲーリングが登場している。
Das Schilfrohr ,1974 (TV)
Directed by Joachim Kunert
Michael Gwisdek, Helga Goring, Petra Hinze, Carl-Hermann Risse, Walfriede Schmitt, Klaus-Peter Thiele, Gunter Wolf


Das Duell

決闘

道家忠道訳 「現代ドイツ短編集」三修社 1980.8.20
教授という立場の二人の男が「教育」や「信念」を巡り、まさに決闘のように戦う作品。戦争で教育の機会をなくした労働者のための特別の教育課程で、生徒の能力を信じて必死で助ける視察官と、教えやすい生徒にしか教えることができない教授との対立を描く。
休暇を返上して信念をもって仕事をする男を信じて待つモニカの手紙が素晴らしい。


帰還兵エルンスト・エルヴィッヒは敗戦後まもなく避難民や敗残兵のキャンプで指導力を発揮し、小さな町の町長の助手となった。電気器具の工場に仕事を得たが、そこでも労働者たちの信頼を得た。しかし、熟練工になるための教育を受けていなかったため、同僚たちが通信教育を受けるよう薦めた。「もっと知りたい」という欲求をもっていたエルヴィッヒはこれを受け入れ、勉強をはじめた。
一方、教師カール・ベートヒャーは彼はヒトラーの政権獲得までドレスデンの工科大学に勤めていたが、二、三のナチ派の圧力で左遷され、免職になった後逮捕された。強制収容所を転々とし、空襲による脱走後も隠れ住んでいた。終戦後、家族を亡くしたことを知ったベートヒャーは教えることに没頭していた。高校卒業試験の受験者のための物理学の授業を引き受け、新しい教師の養成課程を整えた。
ベートヒャーは方々の講習会に出かけた。この講習会は通信教育や夜学を終え、学習した教材をおさらいし、最初の試験の準備をするためのものだった。新しい教養課程が上手くいっているかどうかを評価することが仕事だった。この教養課程とは戦争で進学を妨げられたが、学習意欲があり、賢い人々のための課程だった。
彼はある城で開かれていた講習会へでかけた。そこの教授であるヴィンケルフリートという男はかつて彼を追い払ったナチ派の教授だったが、彼を覚えていなかった。ヴィンケルフリートは高校を出たばかりでまだ知識が新しい若い生徒には意欲的に教えていたが、年を取った労働者たちは覚えが悪く、そのために侮蔑的な態度をとっていた。そんな生徒たいの中にエルンスト・エルヴィッヒもいた。
ベートヒャーは己の信念のため、ヴィンケルフリートの不正を証明するため、休暇を返上し、エルヴィッヒらを必死で教えることにした。当初は誇りを傷つけられ、絶望的になって逃げ出そうとしたエルヴィッヒらも、必死で勉強を続け、ついに試験に合格する。
13年後、エルヴィッヒは工場長になっていた。突然思い出してベートヒャーの家を訪ねると、彼はなくなっていたが、夫人からベートヒャーはその後も死ぬまで多くのエルヴィッヒを助けたことを聞いた。


Die Heimkehr des verlorenen Volkes

失われた部族の帰還

エルベは流れる
河野富士夫訳「エルベは流れる」同学社 1992.4.20 ISBN4-81020085-X

メキシコの奥地に住むマヤ民族の300年以上に渡る運命を描いた作品。部族間の対立はあれど、ときに闘い、ときに融和し、平和に暮らしてきた彼らに、突然スペイン人がせめて来る。森と海しか知らなかった彼らが、平原をさまよい、更に奥地の森に逃げ込み、逃げても、逃げても執拗に追ってくるスペイン人から逃れ続ける。
土地を探して住むことを考えるが、奴隷にされ、白人に酷使される他の原住民を見て、以来密林にのみ住むことにする。一時は毛皮商人との交流ももたれるが、それすら絶ち、ひたすら隠れて生き続ける。
外の世界では内戦が起こり、長いスペイン支配から解放される。二十世紀になり、大統領から派遣された若者たちに導かれて首都へやって来る。大統領は彼らに失われた土地を回復する約束をする。最初に選ばれた土地が伝説と違うと言って断り、別の土地が提供される。そこには歌に歌われたピラミッドが出発の日そのままの姿で立っていた。
神話的要素の高い作品である。マヤ民族の側から書かれているため、外の世界の動きは雲の中のように霞んで見えるが、現実であることには違いない。おそらくそれは「伝令」の語る言葉、として書かれているため、一層その効果があるのだろう。
この作品では、スペイン人に比べて弱い民族がひたすら生き延びようとする姿が描かれる。捕らえられて自由を奪われるくらいなら、どれほどひどい環境であろうともジャングルの中で生きようとする。
民族のすべての知識や記憶が失われて、歌と伝説だけが残る。最後にその「歌と伝説」を頼りにたどり着いた場所が、部族がかつて平和に暮らしていた土地だった、という最後が感動的である。

2001.11.17