Anna Seghersアンナ・ゼーガースの文学

Die Kinder, 1951

子どもたち

DIE KINDER
北道文訳 「世界短篇文学全集 4 ドイツ文学20世紀」集英社 1966.11.20
針生一郎訳 「現代世界文学の発見 5 抵抗から解放へ」学芸書院 1970.5(隠れ家)
※←テキストブック:志村博解説 郁文堂 1980.9 ISBN4-261-00597-2 700円(Das Obdach,Die Tochter der Delegierten)
1951年、ベルリンで開かれた第三回青年学生世界平和祭にあたって青年達に捧げられた作品。中国、フランス、ポーランドの三カ国の子供達の物語をまとめ、諸民族の友好を願ったもの。

Das Obdach, 1941

隠れ家

実話に基づいた小編。第二次大戦中、ナチ占領下のパリ。ある平凡な主婦が反政府運動を行ったかどで父親を連れ去られてしまったドイツ人の子供をかくまう。当初逮捕されるのではないか、自分の勝手な行動で子供たちや夫に危害が及ぶのではないかと恐れていたが、自分の行動の正しさを確信していく。最初は子供を預かることに反対していた夫も、周囲がハーケンクロイツで満ちて、酒場にも行けず、同じアパートに住む女がドイツ軍の兵隊を家に連れ込むようになるにつれ、最初はその整然さをほめていたドイツ軍の本来の姿を見い出し、子供を守ることの正しさに気づくようになる。
フランスの栄光のレジスタンスを支えた、姿勢の人たちのささやかな、しかし確固とした抵抗運動を描いている。

Die Tochter der Delegierten, 1951

代表者の娘

ポーランドで組合活動が禁止されていた頃、非合法の組合の代表としてモスクワへ旅立つ使命を受けたフェルカ。彼女は夫を早くに亡くしたため、ヨジアという娘と二人暮らしである。娘を誰かに預かってもらわなければならないのだが、たまたま不運が重なりどこにも預け先がない。非合法の旅行であるため、おおっぴらに出来ないことから、結局ヨジアは一人で誰にも気づかれないよう、家に残ることになった。
当初は勇気をもって母親を送り出したが、帰って来ないのではないかと次第に不安になり、その不安と闘いながら、食料を配分し、ひたすら帰りを待つ。ようやく母親が帰って来て、再会を祝う。

Die verlorenen Söhne, 1951

失われた息子たち

共産党の幹部テー・チョンリは長征に行くため、二人の息子の養育を老医師に託した。ところがその老医師の息子は国民党のシンパで、二人の養育費を横取りし、彼らを学校から遠ざけ労働させた。
二人は逃げだしたが、身体の弱い弟はまもなく死ぬ。兄のタオションは苦労しながら染色工になり、勉強を続けた。ある日ナンリンへ向かうようにという指示を受け、タオションはある婦人の元へ赴く。学費と宿舎を与えられて勉強に専念する。
やがて日中戦争が始まると、従軍して戦った。途中父の名声を耳にし誇りに思ったが、テー・チョンリの息子であることは名乗らなかった。日本軍が敗退し、その後の蒋介石との内戦が終わると、ようやく父子は出会うことができた。二人は幼い頃の弟の思い出を語った。
2001.11.4