Anna Seghersアンナ・ゼーガースの文学

Grubetsch, 1926

グルーベチュ

グルーベチュ
河野富士夫, 松本ヒロ子, 貫橋宣夫, 河野正子訳 「グルーベチュ―アンナ・ゼーガース作品集」 同学社 1996.10.1 ISBN4-8102-0096-5 2,500円 261p

ゼーガースとしては第二作目の作品で、その後の作品ともかなり異なる、少々難解な作品である。一度読んだだけでは今一つわからないが、二度目にはおおむね納得できるようになる。20世紀のドイツ文学によくある傾向だと私は思う。読者の前に事実を提示するだけ、あるいは事実をあえて隠して、一部だけを提示する、といった手法。別に幻想文学の傾向がわけではない。マルティンの腕が伸びるところなどは、むしろ表現主義の色が多少感じられる)。
大きな都会にあるアパートの一角。アパートが何階建てなのかは不明だが、少なくとも3階以上である。アパートには「ロ」の字に中庭があり、そこには失業状態にある住人たちがたむろしている。
「グルーベチュ」は筏乗りで、川を下るのが仕事。春になると出かけて行き、冬になると、このアパートの地下の酒場へ向かう階段の下の倉庫のような場所をねぐらとしている。家族もなく、きちんとした家もない、いわゆるアウトローである。
このグルーベチュに破滅させられた人々がすでにいることが、物語の冒頭で語られる。戻って来たグルーベチュは健全な生活を営んでいるマルティンの一家に目をつける。目をつけると言っても、グルーベチュ曰く「気に入った」「気の毒だ」といった表現だが。マルティンには美しい妻マリーと病弱な妹アンナがいる。この三者が三様の堕落の道を辿る。
内容は訳者自身が書いた評論「アンナゼーガースの文学」に詳しいが、ここにある「アンナは娼婦になる」という解釈が今一つ腑に落ちない。グルーベチュによって性の虜になったアンナが、うろつきまわる場面、あるいは中庭にたむろする若者の一人を誘い「おれはあっちの方はうまくないんだ。」とかわされる場面などが描かれ、そうなってもおかしくないのだが。
再び暖かくなり、川へ向かう途中で引き返して来たグルーベチュがアンナの姿が見えないので、マルティに聞く
「なあ、アンナのことだけど、今どこにいるんだ?」と聞いた。
「ちょうど二三日ほど前に出ていったところだ。でも遠くじゃなくって角の家にさ。そのほうがよかったんだ。」
と言われて訪ねて見ると、破壊された肉体のアンナが現れる。明らかに多くの男と性交渉をもった痕跡が見られる。当然、角の家が娼館であるとは書かれていない。このような失業の多いすさんだ世界で、兄は失業し、食べて行くために他に職業がないから、だから「娼婦」というのは納得がいく気はするのだが。だからと言って「娼婦」という職業に直結するのはどうか?という気もする。単に「身を持ち崩した」というだけの解釈でよいのではないか?まぁ、たいした違いではないのだが。あるいは原文を読めばもっとあからさまな語があるのかもしれない。
表現方法は異なるが、貧しい、失業状態にあるどん底の人々を描いた点では変わらない。グルーベチュ自身が破滅するラストは別に明るくも希望もないのだが、「何事もなかったかのような」その後が描かれる、という点では後の作風につながるとは思う。
2001.9.29