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2010年9月 8日

トヨザキ社長の提案についてうなずきまくりです

白水社のサイトに載っている豊﨑由美「全国3000人の海外文学ファンを代表して トヨザキ社長が提案!"ガイブン仲間"を増やすには?」を読んだ。あまりに的を得ていたので、ブログに書いてしまう。

こんなこと書くとまたいらない敵を作ってしまいそうですけど、そこいらの一流半程度の国内小説より、世界文学のほうが比べものにならないくらい面白いのに。日本の小説に三百円か五百円程度上乗せするだけで、比べものにならないくらいのレベルの面白さが手に入るのに。そう思ってましたし、今もその考えは変わらないんであります。

私も別に日本の作家が全部くだらないとか言う気はない。読んでないし、わからない。角田光代とか、長島有とか、話題になったのをたまーに読んで、いいね!とか思う。けど、この「本をコストパフォーマンスで価値を決める」という考え方がすごく納得。というか、実は私は今でもそうだ。高校生の頃、わずかなお小遣いで本を買っていた。図書館で借りてもいいんだけど、やっぱり手元においておきたい派だったから、すごくよく考えてから本を選んでいた。で、ガイブンは外れが少ないし、中身が濃いから読むのが大変で、えらいおもしろくて、コストパフォーマンスがよかった。そのまま大人になっても、それを引きずっていた。

「海外の小説は苦手」という友人知人の皆さんにその理由をお訊きしてまいりました。で、圧倒的に多いのが「名前が覚えられない」。

筒井康隆の「短篇小説講義」だったか「本の森の狩人」だったかで、外国文学で登場人物が大勢いたら書き出しながら読め!と書いてあったので、こういうことしていいんだ!と思って、それ以来、わからなくなったらやるようにしている。憶えられない方が悪い気がしていたのが吹っ切れた。筒井康隆でさえやるんだから、私がやってもいいよね、と。

で、次に多かった答が「知らないところが舞台になってるから、雰囲気がよくわからないし共感もできない」。かなり気持ちが滅入ってまいりました。わかってることを「うん、わたし、わかる」って再確認する読書の、どこが愉しいんだろう。(中略)世界は広くて、意見も感覚も常識の持ちようも生活様式もまったく違う人たちが、でも、自分と同じようにかけがえのない日常を送ってるわけで、海外文学を読むとそれが心底実感できるんですよ。

私は知らないことを知りたいから本を読むんです。マイアミに住むキューバ系アメリカ人はこんなこと考えるんだ~!とか思うと楽しい。知らない場所だからこそ、いろいろ想像して楽しい。

日本の文学だと、話の流れとか、かなりの割合でもう予想できちゃうんです。場所も人もわかりやすいから。場所も人も全然知らないからこそ、予想も出来ない展開が現れて、おもしろいのになぁ。違う世界の予想もつかない物語にのめり込むからこそ、読書は楽しいのだけど。

目次のあとに、登場人物一覧をつける!

これね、「野生の探偵たち」のとき、別途プリントアウトしてくださいってPDFがウェブにおいてあって、なぜ本体に印刷されていないのか、あるいは差し込みされていないのか、すごく不思議でした。翻訳者がいやがるのかなぁ。「売れない売れないという前にやることやれ!」って、トヨザキ社長って時々言葉はキツイけど、すごくまっとうなことを言う方ですよね。編集者の方々はやった方が良いと思います。3000人って思うからこそ、「私が買わなくては!」「私が読まなくては!」と思っているのも事実ですが、こちらも先細りはイヤなんです。がんばってください。私も読みますから!

2010年4月21日

私が電子書籍に期待すること。

私が電子書籍に期待すること。それは普通に空間の確保と検索性。

例えば雑誌なら。
モンキービジネスをずっと買っていたのだが、先日やむを得ず古書店に売った。紙はやっぱりスペースが厳しい。本はもちろん買うのだけど、全部は残しておけないから、例えば今号ならポール・オースターと高野文子だけPDFかe-bookみたいな形で部分的に購入できないかな。スクラップしたい。
もちろん、それはGoogle Documentのe-book版みたいなところにためておいて、どこからでも見られるの。iPadでも。

例えば書籍なら。

絶対に欲しい本は紙で買うと思う。食費削ってでも買うタイプだから。

エッセイとか新書とか、ちょっとした本は電子ブックでいい。どうせ読んだらすぐ古書店に売ってたわけだし。

実用書はケースバイケースな気がする。PCソフトの解説書なんて、ネットで調べればたいてい出てくるわけだから、わざわざ本を買うときは、きちんと正座してそのソフトと向き合う時なわけ。だから「本単体」「本と電子ブックセット」「電子ブックのみ」の3種類で売って欲しいな(電子ブックはネットでダウンロードですよ、もちろん)。検索性を考えたら電子ブック欲しいし、でも紙で頭から最初は読みたかったりするし。

漫画はかえってダメかも…本がいいかな。お試しの作家なんかは、最初電子ブックで読んでから書籍にという動きになるかも(のだめがそうだった)。

モンキービジネス vol.09を買おうとして、ふと頭に浮かんだ事柄でした。

2005年9月12日

闇に問いかける男

闇に問いかける男 ■著者:トマス・H・クック著, 村松潔訳
■書誌事項:文藝春秋 2003.7. ISBN4-16-766140-3
■感想
まだクックの未読本が残っていた。やむを得ずさかのぼって読む。

半日ほどの取調の時間を時系列で追うミステリ。複数の登場人物のそれぞれの動きを追うという手法はここから始まり、「孤独の…」につながるのだとわかる。内容的にはこちらの方がぐんと面白い。ということは以前の作風のクックの方が面白いということになりかねないのだが、面白いのだからしょうがない。オチもすごいし。すごいというか、ひどいよ。だから途中の緻密というか、チクタク音がしているような緊迫感のある描写を楽しむ方が正しい。

登場人物の中で一番関係がわからなかった清掃車の男が、さいごにオチを作るんだが、それが真実なら、まだまし。結果的にはひどい結末なんだが、何が一番ひどいかというと、本当のことを誰も知らないということ。結果的には犯人は死んでいるのだからいいのかもしれないけど、被害者の親にとってみれば犯人の命よりも本当はどうなの?の方が大事だろうなと。まぁ、結局おそらくは犯人が自殺したということに落ち着くのだろうが。

いつもそうなんだが、この人のラストは「えーなんだよー」と怒りすら湧く。でもやめられない。……というのが作風だったので、この作品まではそうだった、ということになるんだろうか。ホントに、この後どこへ行くんだろうな、この人は。

2005年8月26日

孤独な鳥がうたうとき

孤独な鳥がうたうとき■著者:トマス・H・クック著, 村松潔訳
■書誌事項:文藝春秋 2004.11.9 ISBN4-16-323540-X
叙情的なミステリを書いて、言い方は悪いかもしれないが、非常に「文学的」な作品が多い。クック作品では、犯人捜しなぞはどうでもよく、その犯罪に至る心象風景が美しい描写で描かれているわけだ。

というところで評価の高いミステリ作家なのだが、どうも本人も飽きたらしく、違う作風になっていた。面白いと言えば面白い。複数の登場人物がそれぞれ動いて、最後に集結するという筆致法は、特別目新しいものではないかもしれないが、クックがそれをやると、また変な感じなのだ。

やっぱり最後にちゃんとオチがつくところが、クックらしい。

2005年8月16日

七つの丘のある街

七つの丘のある街■著者:トマス・H・クック著, 村松潔訳
■書誌事項:原書房 2003.11 ISBN4-562-03709-1

■感想
夏はミステリーだ!と決めていたのは何年か前までリゾートへ行っていた頃のこと。久しぶりのリゾートに色めき立ち、久しぶりトマス・H.クックなど手にとってみる。ところがこれはノンフィクションだ。書評に「緋色の記憶に連なる…」とあるから、このノンフィクションに基づいて「緋色の記憶」が出来たのかと思って、ドキドキしながら読んでいったら、全然関係ないじゃん。勘違いする方が悪いのか?否。勘違いさせるような書評が悪いんだろう。
「冷血」をはじめ、犯罪ノンフィクション・ノベルは嫌いではないので、それなりに面白かったのだが、犯人がわかってからはともかく、裁判の部分が少し物足りない。もっと検察側と弁護側の攻防があってもいいかなと思う。弁護側の変さが際だつという点では、そこを中心にするのは間違っていないのだが、緊張感が少しゆるんでしまった。実際に攻防なぞはなかったということなのだろう。

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