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紀行・ノンフィクション

2015年6月11日

トーベ・ヤンソン―仕事、愛、ムーミン/ボエル・ウェスティン

トーベ・ヤンソン―仕事、愛、ムーミントゥーラ・カルヤライネンのトーベ・ヤンソン伝記を読んだが、それでは片手落ちと人から言われ、その後に出た講談社の方の伝記を読んだ。前者が「絵」やアーティストとしての側面が強いのに比べると、こちらは文章家のヤンソンの部分に多くのページを裂いている。私はムーミン以後の小説家としてのトーベ・ヤンソンが好きなので、こちらの方がその意味では助かった。しかし、トーベの晩年の小説は、彼女のそれまでの生き様の集大成なので、伝記を読むとより感じる部分は大きくなる。

伝記的要素は両方ともそれぞれの個性があり、カルヤライネンの方が人間関係はしっかり書かれているように思う。アートスらの男性関係やヴィヴィカらの女性関係、母親ら家族との関係は多くの手紙から構成されているカルヤライネンの方の充実している。一方、「仕事」と「人間関係」のバランスの良さはウェスティンの方の伝記の方が優れているように思える。トーベの人生の出来事がどんなふうに作品に反映されているか、細やかに描かれている。

絵画と文学の間を行き来し、絵画と文学の両方を同時に創作しながら、著作の管理や契約まわりなどビジネスとも上手につきあえるなんて、なんてスーパーなんだろう。どちらかというと、こちらの方のトーベの方が人間くさいような...そんな感じ。向学のためにはカルヤライネンの方が充実するが、充実した伝記を読みたいと思ったら、このウェスティンのものが決定的なのだろう。


■書誌事項:ボエル・ウェスティン著,畑中麻紀,森下圭子訳 講談社 2014.11.25 658p ISBN978-4-06-219258-3
■原綴:Tove Jansson: Ord, Bild, Liv by Boel Westin, 2007

2014年11月27日

ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン/トゥーラ・カルヤライネン

ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン/トゥーラ・カルヤライネン「トーベ・ヤンソン展」のキュレーターを務めたトゥーラ・カルヤライネンが書いた伝記だというので、読んでみた。絵がたくさん印刷してあるので、紙質が良く、ページ数のわりに分厚い。そして、この本を展覧会の図録と併わせて読むと、より楽しめる。その生涯について、ざっとは知っているが、詳しいというほどではなかったので、良い機会だと思って購入した。

原題は「トーベ・ヤンソン 働け、そして愛せ」。つまり「仕事と愛」。芸術家としてのさまざまな仕事とさまざまな男女との愛をトータルで描いたバランスの良い伝記ではないかと思う。「ムーミン」はヤンソンの生い立ちや経験が色濃く反映された作品だが、しかし彼女の作品の一部でしかないのだ。

生涯を通じて、彼女はよく働いた。よく生きた。才能豊かで、愛情も豊かな人だった。だが、常に反骨精神に満ちた人だった。芸術家の娘だから、すんなりと芸術家の道には進んだが、父との思想の相違、当時の画壇での女性の位置、漫画というジャンルへ踏み込んだこと、抽象画が主体の時代に自然主義の絵を描く。芸術家であっても妻は夫を支えるべきという時代に、男性と結婚せずに同棲し、更にリヴ・ゴーシュを選んだ。(本書で解説されているが、これは「レズビアンの道を選ぶ」という意味)

サム・ヴァンニ、タピオ・タピオヴァーラ、アートス・ヴィルタネンとそれまで3人の男性ととても深く付き合い、アートスとは事実婚のような状態だったのに、ヴィヴィカ・バンドレルと出会い、愛し合うようになって戸惑いながらもごく自然とレズビアンとなった。周囲の無理解もあったが、その決意のままに生きて、トゥーリッキー・ピティエラという生涯の伴侶を得る。愛については様々あったが、幸せな一生だったと思う。そして芸術家としても画家としては思ったような評価は生前は得られなかったが、それでも後年には評価された。何より世界中の子供達に愛され続けるキャラクターと物語を産み出した。類い希なる才能の持ち主であったことは間違いない。

そもそもは画家であり、絵では食べられなくて、漫画家・イラストレーターへと進み、世界中を旅し、最後に小説家に転じたトーベ・ヤンソン。日本人には本当に愛されている作家なので、100周年を機にムーミンだけでなく、その生涯について興味をもってくれる人が増えると良いなと思う。

蛇足。よく語られる話だが、岸田今日子の「ムーミン」の話だ。1969年バージョンの再放送か1972年のバージョンかで見たのだろうと思う。トーベ・ヤンソンの作品世界と相容れない作品となってしまい、国内での放送のみとなり、現在はDVD化などは自粛している状態となっている。1990年代に「たのしいムーミン一家」がつくられて放映され、こちらは原作に沿った形でトーベも認めたものだ。他国にも翻訳されて世界中にムーミンアニメを広めた名作である。けれど1969年1972年のバージョンのムーミンの方が人間くさく、話もおもしろかった。あれはあれで良かったなと今でも思うのだ。(Youtubeからは削除されているが、Dailymotion、ニコ動あたりにはある)。

■書誌事項:セルボ貴子,五十嵐淳訳 河出書房新社 2014.9.25 376p ISBN978-4-309-20658-5

2007年10月30日

マーノ・デ・サントの帰郷

マーノ・デ・サントの帰郷「マーノ・デ・サント」とはManos des santo「神の手」(というか「聖人の手」)、アルゼンチン、サッカーとくれば、マラドーナか?とつい連想してしまうが、これは気骨ある明治男の冒険談。明治43(1911)年、富山湾から密航してチリへ渡り、独力でアンデス越えをしてアルゼンチンはブエノスアイレスに移住した実話。このブエノスアイレスでもボカ地区に住み着いたというのがポイントで、苦労して働いたが、次第に柔道で学んだ東洋医術を生かしてボカのトレーナーになるというお話。どんな怪我でも治すから「神の手」というわけ。まだ東洋医術は向こうまで届いていない時期だったせいか、驚異的な効果を生み出していたのだと思われる。

南米への移住者の苦労話は多く本になっているが、この人の場合は単独で移住したところが大きく異なる。残念ながら、自費出版のようで、誤字が残っていたり、装丁がかなりひどいものだったりするが、内容はなかなか面白い。

やっぱり身体鍛えておかなきゃ、単独アンデス越えは出来ないよ…。メンドーサの街の記述があって、やたらと「サン・マルティン」という名前のついた通り、建物、公園がある、というところでは納得。確かにそうだった。

■著者:晩豊彦著
■書誌事項:文藝書房 2006.1. 201p ISBN4-89477-216-7
■副題:アルゼンチンサッカーに生きたある日本人の物語

2005年1月 4日

チェ・ゲバラふたたび旅へ―第2回AMERICA放浪日記

チェ・ゲバラふたたび旅へ―第2回AMERICA放浪日記■著者:エルネスト・チェ・ゲバラ著,棚橋加奈江訳
■原綴:Otra Vez: El Diario I&eacuite;dito del Segundo Viaje por América Latina (1953-1956) by Ernesto Che Guevara
■書誌事項:現代企画室  2004.11.25 ISBN4-7738-0410-6
■内容
チェ・ゲバラふたたび旅へ―第2回AMERICA放浪日記
写真による証言
付録

■感想
本書及び「チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記」「チェ・ゲバラAMERICA放浪書簡集―ふるさとへ1953~56」と3作合わせて“チェ・ゲバラ キューバ革命参加以前の記録”とでも呼ぼうか。本書は「モーターサイクル南米旅行日記」の続編ともいうべき日記で、グラナードと別れ、マイアミに行って1ヶ月間動けなくなったりしていろいろあったものの、何とかアルゼンチンに戻った後のお話。半年強ほどで学位を取得して、グラナードのところへ行って仕事をするという一応の目的の元に再び旅に出たゲバラの日記及び資料集。「ふるさとへ1953~56」も同一の時期のものだが、こちらは家族にあてた書簡集。本書の資料の中にある書簡と重なる部分が多いため、詳細に比較したわけではないが、まぁ言ってみれば本編だけ読めばいいくらいな感じである。
最初の旅のときと違い、自分で生計を立てるという前提をもちながらの旅である。いずれ帰って学校に戻ろうと考えていたときとはやはり違う。単に「世界が見たい」という熱望だけで動いたときよりは、かなり自覚的に自分の将来を模索しているように見える。
いずれにせよ、出発時点でのゲバラは医者の資格は得たが医者になるつもりはあまりなく、ただ何かをやる上で人の役には立つ技術だろうな、くらいにしか考えてないように見える。それより、南米大陸で行われている不正・不正義をただすという目的のために、自分は何がいつ出来るのかを模索していた時期だと言えるかもしれない。とにかく、目的のためにはいろいろな人にあって、いろいろな話を聞いて勉強しつつ、自分を必要としている場所を探している、といった風情だ。結局メキシコでカストロたちに会うことで時節を得たというか、自分の生きるべき場所を見つけたというか、自分を役立てる革命に出逢えたわけだが、革命の起こりそうな国にやってきて、革命を横目で眺めつつ、あまり好ましからざる外国人ということで退去させられたりしている。横目で眺めつつとは言え渦中にいられたのは勉強には役に立っただろう。生計を立てるために苦労したり、あまり変化のない日々を送ったりもしている。ペルーの活動家と(おそらく)出来ちゃった結婚したりもしているが、すぐに別れたりと、いろいろやってはいる。
あれだけ功あり名のある人なので後世からなんとでも言えるが、当時の人から見たら、単に騒動を探してうろついている不逞の輩以外の何者でもないな。だから最後は革命が成就しある程度安定したキューバを去って、ボリビアに行っちゃったりするんだけど。

結論から言うと、前回の旅よりはおもしろみに欠けるが、ゲバラ研究の資料的価値はあるだろう。私はあまり革命家チェ・ゲバラに興味があるわけではなく旅行記が読みたかったので、予想の範囲ではあったが、少々不満。が、まぁ読んで損はないなぁというくらいの感じだ。

2004年11月20日

トラベリング・ウィズ・ゲバラ

アルベルト・グラナード著,池田律代訳
■書誌事項:学習研究社 2004.10.16 ISBN4-054-02609-5
■原題:Con el Che Sudamerica, Alberto Granado, Editiorial Letras Cubanas. Giudad de la Habana, 1986.

「モーターサイクルダイアリーズ」の原作の片方。ゲバラの書いた「モーターサイクル南米旅行日記」をもう一度読み直し、これと逐一比べながら読んだ。全体的にグラナードの方が読んでいて詳しいし面白い。ゲバラの方も充分面白いのだが、これだけでは映画はあんなにふくらみのあるものにはならなかっただろう。

映画では重要な下記のいくつかの点の記述がない。映画になってからグラナードによって追加されたノンフィクションなのか、それとも脚本によるフィクションなのかはっきりとは判明しないが、私にはどうもフィクションと思われる。
1.チチーナに水着を買って来てと言われて預かった12ドルの件は出てこない
2.チリの鉱山で出会った共産主義者の労働者とその妻は登場する。お金をあげたエピソードはない。
3.エルネストが誕生日に泳いでアマゾン川を渡ったとされる場面。実際には誕生日の日ではなく3日後くらいに本当に渡ったとグラナードの方には記載がある。ワニが泳いでいるような川で、川幅2kmくらいあったようだ。

面白いエピソードはほとんど実際あったようだ。
1.恋人のためにバイクで犬を連れて行ったこと。
2.エルネストが修理工の奥さんに誘われて、でもダンナの目が光っていることに気づいて奥さんがイヤがったが、酔っぱらってその気になったエルネストと押し合いになって、グラナードと二人必死で逃げたシーン。
3.正直者のエルネストはお世話になった博士の本をけなさないではいられない。
4.船の上で娼婦と出会う。イルカのエピソード。でも実際には何もなかったようだ。お金がないからだろう。

でも、ゲバラの方のだけを読むとものすごくあっさりしていて、あんなに面白いエピソードだとは気づかないほどだ。

映画にはないが、チリでボランティアで消防士の仕事を手伝うくだりがある。チリの森林地帯に近く、山火事が頻繁に起こる土地で、実際に火事にあった。犬だか猫を助け出したのがグラナードの本だとエルネストになっているし、エルネストの方だとグラナードとなっている。実際はおそらくエルネストが助け出したのだろう。エルネストは自分だとは書けない性格だったのではないかと想像される。

ゲバラの日記はスペイン語で刊行されたのが1993年、グラナードの方は1978年だ。刊行されたのはゲバラの方が遅いが、グラナードの方はゲバラの死後に「チェに捧ぐ」と書いてあるように、元となった日記に加筆修正して“若き日のゲバラの姿”が随所にちりばめられている。そのせいもあって、内容的にはグラナードの本書の方が詳細だ。ゲバラの方は飛んでいる箇所が少なくない。例えばコロンビアのレティシアでボゴタまでの旅費を稼いだサッカーコーチの話などはゲバラの方には軽くしかふれられていない。

ちなみに、ミジョナリオス・デ・ボゴタにディ・ステファノが所属していたのは確かに1949~1953年で彼らの旅の時期1951年~1952年と一致する。が、レアル・マドリーとの試合があったかどうかは確認できず。しかし、この後ディ・ステファノはレアルに移籍する。これがまたバルサとの確執の火種になっているのだが、まぁそれは関係ないのでおいておいて。

ゲバラの方はタイトルに「モーターサイクル‥」とあるが、バイクで旅が出来たのはアルゼンチン国内だけで、チリに入ったとたんにバイクが完全に壊れてしまい、あとは徒歩やヒッチハイク、密航、筏などの方法をとって旅をする。これが現地の人たちとのふれあいを増やして更に実りの多い旅にしたことは間違いない。

ゲバラの方の日記では時々母親にあてた書簡が挿入されている。ひどい喘息持ちでこんな無茶な旅をして、かわいい子には旅をさせろというが、心配だっただろうななどとつい思ってしまう。けれど、映画で見る限り、今でもおそらくは同じ道を辿れば同じような旅が出来るのではないかと思えるほど、自然の風景は変わっていないと思う。グラナードはアマゾンのジャングルに憧れていた節がある。ゲバラの目はどちらかというと、貧しい人々の暮らしぶりの方に真摯に向けられていると感じられる。

旅行記としてはグラナードの書いた本書の方が面白いと思う。ただ、ゲバラの生真面目さも捨てがたい気はするな。

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