タイガーズ・ワイフ/テア・オブレヒト
2012年の夏に刊行され、話題になっていたのですぐに購入したが、ずっと積読していた。北米在住のセルビア出身の作家ということで優先順位が若干下がったせいだろう。しかし読み始めると一瞬でその世界に取り込まれ、わくわくし続けながら読んだ。豊穣な物語世界に夢中になった。確かにこれは人気が出るだろうと思う。
バルカン半島の第二次大戦前から現代までの時代背景をもつこの物語。現代のベオグラードと思われる街に住む若い女性であるナタリアは小児科医して働いているが、医者の世界の軋轢によって地方ドサ回りのようなことをさせられている。母と祖父母の4人暮らしで、父は最初から不在だ。祖父は高名な医者で、彼女が医者になったのも祖父の影響が大きい。この祖父が家から離れた場所で死んだとの知らせを受けるところから物語は始まる。以後、おおむね4本の流れで物語は進んでいく。
1. 現在:友人の医者と地方巡回の仕事をしているナタリアのプレイヴィエナでのお話。
2. 少し前:ナタリアの子供時代からユーゴスラヴィア紛争初期の物語。
3. 更に前:医者になった祖父と不死の男との物語。
4. 過去:ガリーナ村を舞台にした9歳の祖父と聾唖の少女「虎の嫁」の物語。
最も重要なのはタイトルにある「虎の嫁」と虎の物語だ。これはナタリアがガリーナ村の人たちに聞いてまわり、再構築している物語として語られる。そして、このガリーナ村の話に関わる人物として、肉屋のルカ、虎退治に来たクマのダリーシャ、薬屋の物語が詳細に語られている。それぞれ、時代と場所の背景がしっかりとあり、じっくり読ませるのだ。そして動物園から逃げ出した虎のお話はジョン・アーヴィングの「熊を放つ」を思い出す。
聾唖の少女はイスラム教徒で、夫のルカに連れて来られ、虐待されている。昔から続く現代的なテーマであるDV。"第二次大戦中のヨーロッパの寒村ならあるだろう"と思って読んでいると、意表をつかれるような悲しい物語が登場する。ルカが暴力をふるうのは父親が暴力的だったからだ。心優しい"グスラ"弾きだった男が何故DV夫になったのか。夢を抱いて家を出た少年が何故戻って来たのか。暴力の連鎖はイスラム教徒の妻へとぶつけられ、その反発として「虎」が現れたのかもしれない。ヨーロッパの暴力とイスラムの関係、そして虎はどこからやって来たのだろう?
物語の最後の方、ナタリアは死者の灰を埋めた十字路で一夜を過ごす。日本でも「辻」は異世界との交流の場所で、怪しいものが現れる場所。そこで予想通りの人物にナタリアは出会う。また、まるで生きているかのように故人のものを扱わないといけない「死者の四十日」という風習と日本の「四十九日」の親和性。ナタリアの現代っ子らしさは音楽の趣味にも現れ、突然のように小説世界と自分との距離が縮まる。バルカン半島のすさまじい内戦の様子を思い起こせば、やはりそれは錯覚なようにも感じる。
作者についてふれないわけにはいかない。1985年生まれのテア・オブレヒトはこの作品を発表した時はまだ25歳。才能豊かで若くて美人。この先、どんな小説を書くのだろうか。楽しみだ。間違ってもイサベル・アジェンデのようにはならないだろう(ならないで欲しい)。
著者:テア・オブレヒト著,藤井光訳
書誌事項:新潮社 2012.8.25 382p ISBN978-4-10-590096-0
原題:The Tiger's Wife: Téa Obreht, 2011