チリの夕べ―ロベルト・ボラーニョと「野性の探偵たち」
メモです。メモ。殴り書きです。
柳原先生の講演を拝聴したのは2010年4月23日セルバンテス文化センターで開かれた「野生の探偵たち」翻訳本出版記念講演会以来ですが、あの日も雨でした。今日は午前中でほぼ雨はあがりましたが。神奈川大学で約1時間の講演でした。
講演「R. Bolañoと作品 Los detectives salvajes―ロベルト・ボラーニョと「野性の探偵たち」柳原孝敦氏(東京外国語大学)
チリの文学について
●1960年代ラテンアメリカのブームの時代のチリの作家
ホセ・ドノソ
ホルへ・エドワース(もうすぐ翻訳が出る)
●詩人を輩出
カブリエル・ミストラス(詩人・ノーベル文学賞受賞)
バブロ・ネルーダ(詩人・ノーベル文学賞受賞)
ニカノール・パーラ(詩人・2011年セルバンテス文学賞受賞)
●ブーム以後の作家
アントニオ・スカルメタ「イル・ポスティーノ」
アリレル・ドルフマン「死と乙女」「マヌエル・センデロの最後の歌 」
イサベル・アジュンデ「精霊の家」ほか
ルイス・セプルベダ「カモメに飛ぶことを教えた猫」
アルベルト・フゲッ
●ブーム以後の作家で代表的な作家
ロベルト・ボラーニョ(1953~2003)「野性の探偵たち」「2666」
チリには生まれてから15歳くらいまでと、あと少しだけ帰国した時期があるが、メキシコかヨーロッパ各地に住み、最後はスペインに長く住んでからなくなっているため、あまりチリについて書いていたりはしない。「2666」にアマルフィターノというチリ出身の哲学者が出てくるが、直接的にチリに言及したものは少ない。
「チリ夜想曲」(2000)中編小説。
まもなく死にゆく作家が若く作家志望であった頃の回想。
列車がカタコトと音を立てたのでウトウトとすることができた。(柳原先生のブログから引用)
私は目を閉じていた。
今閉じているのと同じように閉じていたのだ。
だが突然、再び目を開けた。
するとそこに風景があった。
変化に富み、豊かな風景。
おかげでときには熱くなったし、ときには悲しくなった。そんな風景。
(Bolano, Nocturno de Chile, 2000: 16)
「詩と旅」と言えばピートニク。ポラーニョはビートニクに影響を受けている。
「ロバ」"El burro"という若い頃のボラーニョの詩を紹介。「幾可学」という言葉が再び出てくる。これはボラーニョの幻覚のあり方と思われる。
「野生の探偵たち」の中でアルトゥール・ベラーノがパブロ・ネルーダを擁護して泣いたという話がある。
ボラーニョは1968年にメキシコで「インフラ・リアリズム」という詩の運動を起こし、「改めて何もかも捨てろ」というマニフェストを作る。"詩とは抒情性である。詩は冒険である旅である"。風景から心理に働きかけるのではなく直接的に語りかける。
「野生の探偵たち」の主役アルトゥール・ベラーノはボラーニョ自身で、ウリセス・リマは一緒にインフラ・リアリズムの運動を起こしたマリオ・サンティアーゴをモデルとしている。マリオ・サンティアーゴ(メキシコの首都)→ウリセス・リマ(ベルーの首都)。ウリセスはユリシーズのこと。
登場人物の心象風景を描写するために、風景を描写をするとされてきた文学の定石を覆すようなボラーニョの手抜き。風景を描写していないのに登場人物の心理は激しく動いている。だから風景の描写から入るのではなくもっと直接的でいいのではないか。
「野生の探偵たち」は詩人が詩人をおいかける、詩への情熱にあふれた作品だが、一方で詩を冗談のように捉えている箇所もある。セサレア・ティナヘーロの絵のような図を詩と言い出してみたり。
大学へ行くと、学生時代を思い出すというより、社会人として大学へ足繁く行った編集者時代を思い出す、かな。生協で国書刊行会フェアで20%オフをやっていて、すごく悩んだけど重いのでやめた。