ブルックリン・フォリーズ/ポール・オースター
"人生で大きなものを失った男"、"死んでいてもおかしくはないほどの状況に陥った男"の再生物語第3弾。「幻影の書」は家族を飛行機事故で亡くした男、「オラクル・ナイト」では重い病気からなんとか治ったばかりの男だった。主人公のネイサンは肺ガンから復活したが、妻とは離婚、仕事は辞めざるを得なくて、生まれ故郷のブルックリンに越して来たところ。そこで甥のトムに偶然出会うが、これも将来を嘱望された文学研究者だったのが、一時はタクシードライバーにまでなっている。ダブル負け犬である。そして二人は、一時は完全に負けたものの今は多少は復活しているハリーという古書店主と出会う。この三人の負け犬話が物語の前半を占めていて、なんだかどんよりしている。
それを打開するのがルーシーという9歳の少女だ。彼女が登場して一気に物語は転がり始める。ルーシーのおかげなのか、「愚行の書」なるものをつけるほど"愚かな"人生だったネイサンが変わり始め、次々にやってくるトラブルを解決し、周囲の人を幸福にしていく姿は爽快ですらある。ハリーのために忠告し、詐欺師を恫喝して蹴散らし、甥にふさわしいパートナーを見つけ(偶然も手伝うが)、姪を救い出しに行き(彼女を捜すことが出来たのはかつての同僚というコネがあったからだ)、姪とその子の住まいを見つけ、姪のカウンセリングを行い、娘の精神的な危機を救い...と、負け犬がその豊富な経験を生かして素敵に復活する。もちろん、中には破滅してしまう人もいるのだが...。
「緋文字」の偽原稿の話は昔一時流行ったジョン・ダニングの古書ミステリーものを思い出す。LGBTの世界(ルーファスの表記はドラッグクイーンでもドラァグクイーンでもいいのか)、古典的なアメリカのクルマでの旅、新興宗教、モラハラ&セクハラ...豊穣な物語世界をさまざまなモチーフが彩る。
オースターがブルックリンの街を描く文章はいつも素晴らしいが、今回特に印象に残ったのがこの一節。
白、茶、黒の混ざり合いが刻々変化し、外国訛りが何層ものコーラスを奏で、子供たちがいて、木々があって、懸命に働く中流階級の家庭があって、レズビアンのカップルがいて、韓国系の食料品店があって、白い衣に身を包んだ長いあごひげのインド人聖者が道ですれ違うたび一礼してくれて、小人がいて障害者がいて、老いた年金受給者が歩道をゆっくるいゆっくり歩いていて、教会の鐘が鳴って犬が一万匹いて、孤独で家のないくず広いたちがショッピングカートを押して並木道を歩き空壜を探してゴミ箱を漁っている街。
人種だけでなく、さまざまな階級、国籍、性的アイデンティティの人が混在している街。これを"豊かさ"と言わず、いったいなんと呼べばよいだろう。
本書の明るさは、「9.11以前」であることから来るのだろう。この次は、どんな作品になるのだろう。まだまだ残ってます。それと、今年自伝が出ているようだ。
著者:ポール・オースター著,柴田元幸訳
書誌事項:新潮社 2012.5.31 331p ISBN978-4-10-521715-0
原題:The Brooklyn Follies, Paul Auster 2006