無声映画のシーン/フリオ・リャマサーレス
表紙の写真が素敵だ。ブレッソンの写真のようだと思ったら、本当にブレッソンだった。おそらく本の作者を知らなくても買ってしまいそうなほどカッコイイ。リャマサーレスは過去に2冊出ているが、「静寂な筆致」という言葉がぴったり合う作家だと思う。この表紙もそのイメージにぴったり合致する。
語り手が幼年期~青年期をすごした鉱山町での出来事が語られる。町のダンスパーティ、オーケストラがやってきた日、鉱山のストライキ、フランコが街の近くを通りかかった日、オートバイを乗り回していた青年の死、廃鉱にもぐりこんだ時...。
過去に撮影した写真にまつわる記憶を呼び起こして語っていく連作短編のスタイルをとっている。もし、本書で語られる30枚の写真をすべて載せてくれていたら、写真集になってしまうのではないかと思うほど、美しい写真だろう。一見エッセイ集に見えるが、著者の言うようにこれはフィクションなので、実在はしない写真。実在するのかもしれない。でも、それはどちらでも構わない。写真を実際に載せてしまうゼーバルトとの違いかなと思う。共通するのは、静かなその語り口だ。
記憶は時に――いや、たいていの場合――映画のシーンが四つか五つの瞬間に凝縮されているポスターと変わるところがない。そこに命を吹き込むことができるのは、時間という映写機のゆがんだ焦点だけである。
リャマサーレスの言葉に耳を傾けているうちに、自分の過去が甦ってくる。残念ながら、自分の幼い頃の写真にモノクロ写真はわずかなので、あまり思い起こせない。記憶というのはやはり雰囲気がないと甦らないものなのかもしれない。
今の子供たちは鮮明なデジタル画像でしか自分の写真が残らなくなってしまう。それでも、その写真がノスタルジックな記憶となるのかもしれないとも思う。15年ほど前のパソコン通信の通信音にノスタルジーを感じるかどうかは、その人次第なのだから。
原題:Escenas de Cine Mudo, Julio Llyamazares. 1994
著者:フリオ・リャマサーレス著,木村榮一訳
書誌事項:ヴィレッジブックス 2012.8.23 262p ISBN978-4-86491-005-7
創造力とは発酵熟成した記憶にほかならない。