バルガス=リョサ講演会(東京大学)
バルガス=リョサの東大での講演会に行ってきた。まず、バルガス=リョサ氏へ、日本人の一人として、今この時に予定どおり来日してくれて、世界へ向けてメッセージを発信してくれたことに感謝します。日本はとても危険に思われ、来日を断ったり帰国する人が多い中でのこの男気というか仁義というか、大作家らしい態度はさすが。
実物のバルガス=リョサを見て、まず、なんて華やかな人だろうと思った。大柄で、背筋がしっかりと伸び、75歳とは思えない声量で精力的に話している。さすが、一時は政治家を目ざしただけのことはある。
最初に話したのはこの世界における文学の役割。文学は偏見や暴力、不正義から人々を守る役割がある、等々。ノーベル文学賞受賞者だから、そういうお話をしなくてはならない。例えば「作家にとって生きることは書くことだ」なんていう言葉を彼がスペイン語で言うと、たいへんな重みがあるのだけれど、それは書いた文ではとても伝えられない。
面白かったのが、「密林の語り部」ができるきっかけ。この作品はバルガス=リョサが実際に行ったアマゾンへの先住民に対する調査というか冒険の体験に基づくものであることは知っていたが、その詳細を話してくれた。大学在学中(?)、アマゾン川流域の街プカルバへ赴き、分散してしまった先住民であるマチゲンガ族のコミュニティを調査する調査隊に参加した。その中には文化人類学者であり宣教師でもある米国人夫妻がいて、彼等から自分は語り部の話を聞いた。分散してしまった部族の人と人を物語でつなぐのが語り部である。自分はこの語り部になろうと思った。文学はこのような役割を果たすものである、と。細かい言葉としては違うかもしれないが、そのような趣旨の話だった。20年後に再開した夫妻が覚えていなかったというオチがついていたが。
質疑応答タイムは野谷先生の教え子の学生たちが先を争って?あるいはきちんと仕込まれて?質問し、司会を務められる野谷先生も「若い人!」とご指名。
氏は詩人のルベン・ダリオの研究論文を発表しているが、詩という文学ジャンルについてはどう思うか?という質問に対し、すべての作家は詩を書くことから文学から入っており、詩人を羨望のまなざしで見ている。詩は完璧なものをつくることが出来るが、小説は完璧なものはつくり得ない。自分は詩人としては、ヘボでした、とのことで会場から笑いがもれる。
「専門化が進むことにより人々が分断されていく」という話をしていたが、研究者がどんどん専門的に先鋭化していくことについてはどう思うか?あるいは研究者の役割とは何?という大変良い質問が出たが、「批評家は読者と作家の橋渡しをするのが役割」という、わりと平凡でかつしごくまっとうな回答。
作品については昨日のセルバンテス文化センターの方が話が濃かったのかもしれない。少しうらやましい。
ゲットしてきた大事な情報を。
1.絶版中の「密林の語り部」が岩波文庫から出るらしい。
2.氏は今日の午前中、神保町で古書店巡りをした。かつてオクタビオ=パスが入ったのと同じ古書店で「北斎漫画」を見る。その際、偶然NHKがロケ中で急遽出演した。妖怪を扱った番組で、放送は後日とのこと。どこからか情報が出ると良いのだが。
最後にちょいと。
1. 東大文学部(教授)席が空きすぎ。バルガス=リョサの邦訳としては最新作の訳者である田村さと子先生をたいへん良い席ではあるけれど東大側の案内もなく一般席に座らせておいて、それはないんじゃないかなーと思った。
2. そんな中でも柴田元幸先生は英米文学の方だが、研究熱心な方だけあって出席されていたことを確認。さすが。(他にもおられましたが、どなたかまでは確認できず)。