昼の家、夜の家/オルガ・トカルチュク
ポーランドの作家の初翻訳。ポーランドとチェコの国境地帯にある小さな町、ノヴァ・ルダとその近隣の森や山が作品の主役。冬はおそらく厳しい寒さに襲われる森の中で主人公の女性が暮らす姿がめんめんとつづられていくのかと思ったら、突然インターネットのサイトの話になったりする。暗かったり重かったりはしない。軽やかな筆致で進められるので、さくさくと読み進めることができる。
彼女の夢想や日々の暮らしの話、キノコのレシピや自然の姿、街の歴史、土地の聖女の物語とその伝記を書いた修道士の話、木こりの話...などが111の断片になって互いに関連しながら、とびとびで登場する。日常と歴史・物語が交錯するので、南米のマジック・リアリズム好きには意外に好みの作品。日常を描いた部分がエッセイっぽいなと思っていたら、作者はエッセイでも活躍しているらしい。
主人公の家の隣にマルタという老女が一人で住んでいるのだが、この人がとても頻繁に登場する。以前鬘を作る仕事をしていたそうで、家の中には鬘がたくさんしまっているようだ。それだけでもなんだか不気味な感じなのだが、主人公は彼女がとても好きなようで、なんども訪れたり招き入れたり、買い物に出かけたりしている。彼女と一緒にいる時間が長く、観察しているうちに「マルタのように歳をとりたい」と思う。「たっぷりある午前中」「のんびりした午後の楽しい時間」...。
それからわたしは、こう思った。問題はたぶん、老いではない。ある年齢になりたいのではなくて、わたしが言っているのは、ある生き方なのだ。ああいう生き方は、たぶん、歳をとったときにだけできるのだ。なにも行動しないこと。あるいは、なにかするにしても、急がないこと、あたかも結果は重要でないかのように。
ここからまた面々とどんな生活なのかを連ねている。単なるのんびりとした老後、という意味ではない。「焦らない」「結果は求めない」というのは歳をとらないと出来ないことなんだろうなと思う。そう思うと、歳をとればそうしてもできるのなら、それまでは急いだり結果を求めたりしてもいいのかなと思ったりもする。急いでいること、常に結果を求めることに何故かいくばくかの罪悪感があったりするからだ。
東欧文学は比較的親しみがあるものの、あえて熱心には読んでいないのだが、これはジャケ買いならぬ装丁買い。こんな絵が好き。アリツィア・スラボニュ・ウルバニャックというポーランド人の画家だそうで、国立にある画廊を一度見に行きたい。白水社のエクス・リブリスは中身も良いが、装丁に気合いが入っていて、どれも素晴らしい。
翻訳された小椋彩さんは沼野充義先生のところの方だったようで、さすがロシア・東欧文学の権威、良い人が育っているようで、今後もどんどん翻訳を出してもらいたい。
昼の家、夜の家
著者:オルガ・トカルチュク著,小椋彩訳
書誌事項:白水社 2010.10.19 380p ISBN4-560-09012-2/ISBN978-4-560-09012-1
原題:Dom Dzienny, Don Nocny, 1998: Olga Tokarczuk