マザーウォーター
スールキートスの「マザーウォーター」を観て来た。舞台が京都というところと、「すいか」以来のキョンキョン & 小林聡美という組み合わせは魅力だったが、あえて映画館へ行ってみるほどかな、ぼちぼちこのシリーズもDVDでいいような気がする...と考えていた。が、自宅でDVDで見たら、途中で止めながらダラダラと見てしまうような気がして、どうあっても集中できる映画館で見ることにした。
何かを否定したり非難したりしないということは、言い換えてみると何も主張していないことになるのかもしれない。それはなんだか無責任というか、つまらないと感じることが多いのだが、そういう場所、そういう映画があってもいい時もある。この映画に何か「らしさ」や「こうあって欲しい」を見る方としていろいろと期待すると、少々肩すかしを食らうことになるだろう。例えば、京都らしさとか、癒されたいとか、物語性とか、まったりしたいとか、映画らしさ(?)とか、とにかくあれこれ考えない方がいい。とりあえず、素で何も考えずに受け止めた方がいいと思う。
これまでの3作に比べて、会話のテンポや場面展開が早く、もっとゆっくりでもいいのになぁと感じた。眠くなるくらいがいいのに、これでは眠くならない。ほら、やっぱり期待を裏切られる。
若い女性3人が、比較的最近京都にやってきて、お店を開いている。それが木綿豆腐しか出さないお豆腐屋、コーヒーしか出さない喫茶店、ウイスキーしか出さないバー。それぞれ水にかかわるお店。彼女らがひとりのお婆さんと子供によって徐々に知り合って行くわけだが、一方で3人の男性もいたりする。女性たちが知り合うきっかけを作るには、子供はうってつけのアイテムだ。彼女たちはちょっとずつ子供にかかわり、預かったりしながら街との、街の人々とのかかわりを増やしていく。
子供はいつも機嫌よく、誰にでもなつく。その子を連れている彼女たちも、なんだか楽しそうで軽やかだ。しかし、なんだかずっと違和感がある。それが何かをわかったのは、もたいまさこが小林聡美のバーから子供を連れて帰るときに大きなカバンを渡されたときだった。
そうだ。1歳半の子供を連れていたら、当然大きなバッグもセットだ。離乳はしていたとしても、オムツやら着替えやら、春先なら特にブランケットやら、遊ばせるためのオモチャや、飲料が入ったバッグがあるはず。それをそのシーン以外ではもたいまさこも光石研も持っていない。だから小林聡美も持っていないので、軽やかに疎水沿いをだっこして歩くことができる。
何のためにそうしたのだろう?確かにリアルではないが、きっと大きないバッグをもっていたら、なんとなく重たい感じが出て、育児の大変さが表に出て来てしまい、その子が作品の中で担う役割が果たせないからではないだろうか?ここのところは誰か気付いた人に教えてもらいたい。
子供が最初に出てくるシーンを覚えておいたら、最後のオチがわかる。ずっと気になっていたことが、でもそれはきっとスルーされてしまうんだろうな、と思っていたことが、クリヤになる。それは楽しい楽屋落ちなのだけれど、あまりみんな触れてない。何故だろう?
おそらく制作側は観客のかなりのパーセンテージが「プール」を観ていることを前提にしているのではないかと思う。実際、寅さんと化しているな、この映画。寅さんと言えばマンネリ。まぁ、いいか。それもまた。
■公式サイト
■監督:松本佳奈
■出演:小林聡美,小泉今日子,加瀬亮,市川実日子,永山絢斗,光石研,もたいまさこ