最近読んだ本、見た映画・芝居、聞いたCD

2009年9月

2009年9月29日

まぼろしの王都

まぼろしの王都売れたし評価も高いというカタルーニャ文学が翻訳されたら、とりあえず読まなくては。「まぼろしの王都」は18世紀の建築家・アンドレア・ロセッリの「見えないまちの回想記」とそれを翻訳しているバルセロナの画商エミーリ・ロセルの物語がそれぞれ一人称で語られ、交互に出てくる。エブロ河のデルタ地帯にあるサンカルラス・デ・ラ・ラピタという街に過去に建設されたと伝えられる「見えないまち」があるという。エミーリは突然送られてきた回想録を翻訳しながら、幼い頃の記憶をよみがえらせる。スペインのデルタ地方の政治状況、絵のありかを探る話、3人の女性との絡みなど、むしろ現代の方が興味深く、やはり回想録は添え物なように思える。バランスとしては悪くはないが、歴史物が好きな人には若干物足りないかもしれない。

まぁ、要するにカルロス3世がデルタ地帯に作ろうとした都がまぼろしの都になってしまった理由は一人の鈍感な男のせいだという話。チェチーリアがペテルスブルクへ行った後から何故宮廷やサロンを飛び回るようになったのか、このロセッリという鈍い男はよくわかってない。だから現地妻なんか作って、しかもそれをわざわざ知らせている。二人の間が友情だけになったなんて大間抜けにも信じているなんて、本当に馬鹿。夫にもバレたし、もう続けていられないけれど、あなたの夢に力を添えるため、ロビー活動を続けてきたのに、なんてこと、あの絵の意味がわからなかったの?とばかりにチチェーリアは最後に爆発する。そのせいで街の建設は頓挫する。

けれど、一方現代の世界では、回想録をアリアドナの真意を理解し、若い頃の傷を克服して、新しい人生を得ることが出来る。ロセッリの方も夢は破れたが新しい人生を得ることが出来たのも確かだが、エミーリの方が大人だなと思う。ソフィアの策略に乗らなかったりするし。

ともあれ、最後の父親の件は余計な気がする。その後、絵はどうなったのか、アリアドナとの関係は?などの方が知りたかった。

■著者:エミーリ・ロサーレス著,木村裕美訳
■書誌事項:河出書房新社 2009.8.30 338p ISBN4-309-20524-0/ISBN978-4-309-20524-3
■原題:La Ciutat Invisible, Emili Rosales, 2005

2009年9月12日

映画 プール

cholera.jpg初日、舞台挨拶を見て来た。もたいさんと小林聡美の掛け合いは、生「かやのねーちゃんときみちゃん」みたいでちょっと嬉しい。初日舞台挨拶なんてチケット争奪戦があるせいか、加瀬くん目当ての若い女の子ばかりだ。しかもチュニックとか、ストールとか、なんかナチュラル系って言ったらいいのか、そんな感じの女の子。アラフォーの星、小林聡美を見に行く世代は、もうちょっと公開後に行くのか。それにしても観客は99%女性。「かもめ食堂」「めがね」と、このシリーズは男性を連れて行っても、絶対喜ばれない。

さて、映画の方だが、もっとゆったりとした感じで時間が流れるのかと思っていたら、意外とパキパキとシーンが変わり、話が進んで、気付いたら、あれ?もうおしまい?という感じで「めがね」よりは遙かに物語もあるし、テンポも良い。

「かもめ食堂」の良さは私はあのクリヤな画面及び音で作られた食堂シーンだと思うので、それに比べると画面がきれいではないし、音も鮮明ではない。撮影は1~2月頃だから仕方がないのかもしれないが、陽の光が感じられない。終始曇っているのか?と思えるほど鮮明さがない。北欧でも南の島でもないが、一応リゾート地で、「プール」が主役なのに、青も緑がクリヤじゃなく、田舎っぽい画面にしている。これは観光映画にしたくない、という意図的なものだとは思うのだが、正直ちょっとがっかりした。

小林聡美は「(娘を自分の母親に預けて海外で働くなんて)女性の共感を得にくい役じゃないか」と言っていたが、おいてきた時点で12歳とか、せいぜい15歳なら「そうかもね」と思うが、18歳の時点だから、「別にいいんじゃないの?」という気がする。大学4年の娘が「一緒にいて欲しかった」なんて、甘え過ぎ。地方から大学入学で上京してくる年に、何言ってるんだか、という感じがしてしまう。

原作では何故娘が母を訪ねる気になったのか、何故「一緒にいて欲しかった」と言うのかがわかるのだが、映画では触れられていないからそう感じるのだ。それでも「あなたを知っているから(おいてきても大丈夫だと思った)」とか「一緒にいることがすべてではない」みたいな母親の発言に反発し、率直に気持ちを伝える娘も悪くないなと思う。それに対し、返事に窮して、ストールに刺繍を始める母も、またよし。

「かもめ食堂」「めがね」と雰囲気が似ているのは当然としても、基本的にテーマはいつも近い。血のつながらない人たちの家族のような心地よいつながり。それはリアルではないけれど、日頃のストレスを思うと、そんなのもあってもいいかなと思わせる。誰もが真実を突きつけられる映画が見たいわけじゃない。

ゲストハウスのリビングが開放的で、すごくいい感じなんだけど、残念ながら上手に撮れているとは言い難い。ああいう場所はもっと明るく清潔感が感じられた方が良いと思うのだけど、もう一度DVDが出たら見直してみようと思う。

帰り道、連れの「台風が来たらあの家財道具どうするんでしょ?」という質問に対し「チェンマイに台風は来ないんじゃないの?」とかいい加減なこと言って、スマソ。チェンマイにも台風は来るらしいよ。

■監督・脚本:大森美香
■原作:桜沢エリカ(「プール」
■音楽:金子隆博
■出演:小林聡美/加瀬亮/伽奈/もたいまさこ
■公式サイト:http://pool-movie.com/

2009年9月 1日

僕とカミンスキー

世界の測量 ガウスとフンボルトの物語「世界の測量 ガウスとフンボルト」と同じ作者の作品。「ロードムービー風物語」なんてamazonに書いてあるから期待したのだけど、思ったより旅は長くなくて、少しがっかり。後半からようやく旅が始まるが、あまりいろいろなところへ立ち寄っているわけでもない。

主人公ツェルナーが高慢で自意識過剰で、野心家で、エゴイスティックでとても嫌な感じの人物。インタビュアーのくせにしかしながら、その男を手玉に取るカミンスキーもわがままでエゴイスティック度では更に上回る。ツェルナーを振り回す様子が痛快というよりは、ミリアム含め、イヤな人ばかりだ、この小説は。

考えてみれば、ガウスやフンボルトも風変わりで高慢な人物だった。ケールマンはそういうのが好きらしい。

「世界の測量」ほどは面白くないけれど、ラストが爽快。海で二人が別れる場面、全然シチュエーションが違うが、「アメリカの友人」のラストを思い出した。

■著者:瀬川裕司訳
■書誌事項:三修社 2008.5.23 334p ISBN4-384-04195-/ISBN978-4-384-04195-84107-1
■原題:Ich und Kaminski, 2003, Daniel Kehlmann