少し読み進めただけで、親しみの持てる作家だとわかる。率直でまわりくどいところがない。スピーディで「だからどうした」的な結末がない。チリの作家、故・ロベルト・ボラーニョの短編集。「通話」「刑事たち」「アン・ムーアの人生」の三部構成で、その中に独立した4~5篇の短編が収められている。
「通話」は表題作を除き作家に関する短篇を集めたもの。「センシニ」は多分、私の感覚ではサッカー選手の「(ネストル・)センシーニ」なんだけれど、アルゼンチンの作家ダニエル・モヤーノがモデルの一人と言われている。そこそこ有名だがアルゼンチン軍事政権下を逃れスペインに亡命、糊口を凌いでいる某作家と主人公が「文学賞で賞金をもらおう」と情報を交換しあうお話。しぶとく、しぶとく、物を書き続ける。
「アンリ・シモン・ルブランス」は時代を遡り、第二次大戦直前からのフランスで活動していた、これも「ぱっとしない」作家の話。文学的にはまったくぱっとしないが、何故かレジスタンス活動で活躍するも、やはり「ぱっとしない」という冴えないお話。
「エンリケ・マルティン」(立ち読み)はまったく才能のない文士で、すぐに詩作を諦めてしまった、かのように見える。この名はおそらくエンリケという名前を借りたのだろう。エンリケ・ビラ=マタスに捧げられている。本書の中のエンリケは全然才能のない三文作家だが、ビラ=マタスは違う。この自伝的なように見せかけた一人称のフィクションで、作家や文学をテーマにしている、という点では「バートルビー...」に共通点があるかもしれない。
「文学の冒険」は嫉妬心から一流作家に対して自作の中でちょっといたずらしたが故に、自ら罠にはまってしまったかのような、これもまた情けない作家の話。
最後の「通話」だけ色合いが違うが、この固まりはどれもこれも「しぶとく書き続ける、ぱっとしない作家」の物語。一連のこの作家たちは、ポラーニョにとって執拗なほど自虐的な自画像なのだろう。だが、不思議とそこに悲壮感はないから、「バカだけど、ずっとやり続けることはえらいな」といった好感がもててしまったりする。現実に近くにこんな奴いたら嫌だけど、こうやって読んでいると、ちょっと悪くない気がしてしまう。
次の「刑事たち」は全体のまとまりとしては「犯罪」とか「歴史の闇」とかいった言葉が共通項かなと思う。「芋虫」の冒頭の一文"ストローハットにバリ煙草をくわえた姿は、まるで白い芋虫だった"は、最初「?」だったが、白いスーツを着ているんだろうなと想像したが、では何故「白いスーツ」が抜けてるのか。自分でも何故「スーツ」だと思ったかというと、やはりそれは「ストローハット」という言葉から連想しているので、それでいいのか、というところに落ち着く。この作品はかなりボラーニョの若い頃の姿が反映されているそうだ。
次の「雪」だが、こちらに立ち読みが。アジェンデ政権崩壊時に父親が共産党幹部だったためロシアに亡命してロシアの闇社会で生き、ボスの女と駆け落ちしてヨーロッパを彷徨い、バルセロナに落ち着いた男の話。最初の「センシニ」もそうだが、ラテンアメリカの現代を語る上で欠かせない「アルゼンチンの軍事政権」「チリのピノチェト政権」という二つの政治事情がさらりと作品に反映されているが、だからといって何か声高に言うようなところはまるでない。ロシア続きの「ロシア語をもう一つ」はスペイン語の「conõ(クソッ)」がドイツ語の「Kunst(芸術)」に聞こたが故に命拾いした兵士の話。だが、この話のどこが「ロシア語をもう一つ」なんだろう。ファランヘ党とか青い旅団とか、スペイン現代史が少し頭に入っていた良かったと思う。「ウィリアム・バーンズ」はそういう名前の作家ががいたが、まるで関係ない話。そして最後の「刑事たち」はチリで弾圧に加わった警官二人の会話。
「アン・ムーアの人生」は女性群像というべきか。「独房の同志」のソフィアはスペイン人の教師で主人公が一時一緒に暮らした女性。「クララ」は主人公がまだ本当に若い頃恋をして、その後も長い間ずっと連絡を取り合っていた女性。「ジョアンナ・シルヴェストリ」はスペインのポルノ女優がアメリカに撮影に行ったときの話を、おそらくはエイズのために入院している病院で語っている。こういう女性の一人称を書く男性作家、しかもラテンアメリカで、というと、ふとマヌエル・プイグを思い起こす。最後の「アン・ムーア...」は1948年生まれ、1960年代後半のヒッピー文化真っ盛りのバークレーで過ごし、その後のアメリカやメキシコ、ヨーロッパなどを転々とし、男を転々とし、仕事も転々とした、そんな一人の女性の人生を40歳くらいのところまでだが描いている物語。アンは確かに繊細なクララとは違うが、タフとも言い難い。かといっていい加減な女性とも思えないのだが、一言でいうと、落ち着こうとは一つも考えてないでしょ?という人生だ。4人の女性はそれぞれ違うタイプで違う人生だが、みんな大変だなという印象。
ボラーニョに関しては、短篇一編しか読んでいないのに、自分のなかですごく期待度が高かった。前評判が良かったことやアメリカで英訳が売れているといったことも、その理由の一つだ。が、最大の理由は私が新しいラテンアメリカの作家に飢えていた、ということだ。いくら好きでも、いつまでもガボやリョサだけではいい加減飽きる。
『エクス・リブリス』シリーズで予定されている、次の「野生の探偵たち」も早く読みたい。
- 1.通話 Llamadas telefónicas
- センシニ Sensini
- アンリ・シモン・ルブランス Henri Simon Leprince
- エンリケ・マルティン Enrique Martín
- 文学の冒険 Una aventura literaria
- 通話 Llamadas telefónicas
- 刑事たち Detectives
- 芋虫 El Gusano
- 雪 La nieve
- ロシア語をもう一つ Otro cuento ruso
- ウィリアム・バーンズ William Burns
- 刑事たち Detectives
- アン・ムーアの人生 Vida de Anne Moor
- 独房の同志 Compañeros de celda
- クララ Clara
- ジョアンナ・シルヴェストリ Joanna Silvestri
- アン・ムーアの人生 Vida de Anne Moor
- 訳者あとがき
■著者:ロベルト・ボラーニョ著,松本健二訳
■書誌事項:白水社 2009.6.25 290p ISBN4-560-09003-3/ISBN978-4-560-09003-9
■原題:Llamadas Telefónicas : Roberto Bolaño