ヘルデンプラッツ
トーマス・ベルンハルト最後の戯曲は、語り手が饒舌なところは相変わらずなのだが、いつもの一方的に語る人が一幕目と二幕目以降と異なる。その上、本来なら語っているであろう人物が故人ときている。つまりこの戯曲で語っている人は、故人がどうだった、故人はこう考えた、ということを延々と語っているのだ。本人だったらもっと毒づいているであろうところが、少し引いたような印象をもつところだ。もちろん、批判をおそれてそういう構造にしたわけではなく、むしろ少し抑えめにでもしないと、爆発しそうな怒りを観客に感じさせてしまうことを避けたのかもしれない。それでも未曾有のスキャンダルだったそうだ。時の首相から大臣、オーストラリア国民全員が罵倒されているのだから、それも当然だろう。
1938年のヒトラーのウィーン侵攻・凱旋演説を行ったヘルデンプラッツ(英雄広場)のすぐ側、そして当のブルク劇場も見えるという舞台背景は劇場の外にいるのか、中にいるのか、混乱させる効果をもっていたのだろう。なんだか1960年代の新宿アートシアターのようだ。外では学生運動のデモ隊と警官が衝突し、劇場の中でも同様の風景が繰り広げられ、劇場の中では混乱した観客が警官役の役者に殴りかかりそうになることもあったそうな。
外の争乱とは、この場合、英雄広場に集まり、ヒトラーを迎える歓喜の声だ。劇場から出たところで、ヒトラーを迎える歓喜の声があがっていたらどうしよう、という怖さを観客は持っていたのではないだろうか?
ベルンハルトって死ぬ直前にすごいことする人だったんだと、この戯曲を読んで実感した。
■著者:トーマス・ベルンハルト著,池田信雄訳
■書誌事項:「ドイツ現代戯曲選30 第30巻」 論創社 2008.5.25 242p ISBN978-4-846000616-7/ISBN4-8460-061-6
■原題:Der Theatermacher, Thomas Bernhard, 1984