土星の環―イギリス行脚
刊行を待ち焦がれていて、すぐに購入したわりには、なんだかもったいなくてしばらく手をつけられずにした。それくらい大切な作家だ。しかし、それは何故なんだっけ…?と思って読み始めてすぐ、ああそうそう、この感じ。これが好き、と思い出す。不思議な感じがする。かつて一度も味わったことのない、妙な感じ。随筆でもなければ、小説でもなく、むろん学術書でもない。どこかにかならずホロコーストが入るところかわもわかるように、決して明るくはない。が、陰鬱というわけでもない。なんとも言えないユーモアがある。イングランドの寂しい風景がずっと続くのに、暗くない。心地よい静寂な感じ…とでも言ったら良いだろうか?
1992年に「私」=限りなくイコールに近いが完全にイコールではない=W.G.ゼーバルトがイングランド東部の海岸部を徒歩で散策したときの話。と言っても旅行記ではないし、随筆でもない。その地で実際に旅した情景もあるし、実際に出会った人も出てくるが、その土地土地にゆかりの歴史的な人物や事件、「私」が過去に別の場所で出会ってふと想起させられた人々などが次々と登場する。一応十章に分割されているものの、その一章の中のエピソードからエピソードへの流れは常に滑らかで、切れ目がわからない。
17世紀イギリスの医学者・哲学者トマス・ブラウンはノーフォーク州のノリッジで開業していた。1632年にオランダ・アムステルダムにて公開解剖が行われ、そのときの模様をレンブラントが描き出している。ひょっとしたらトマス・ブラウンはこの公開解剖を見学していたのではないか…?という「私」の想像から、滑るように思考は巡る。
19世紀の大実業家モートン・ピートーが建て、栄華を誇ったカントリー・ハウス・サマレイトン邸とピートー卿の指示のもとイギリス有数の保養地となったロウストフトという街の零落した姿が描かれる。浜の漁師からベルゲン・ベルゼンの強制収容所(アンネ・フランクらが送られた有名なユダヤ人強制収容所)の解放者の一人であったル・ストレインジなる人物、そして「ウクバール」と言えばボルヘスの作った仮想の地名(一言もボルヘスの名は出てきませんが)へと、どうやったらつなげられるんだろうという話を、特につなぐ意志もないようで、それでいてちゃんとつながっていて次々と展開されている。
順を追っていくときりがないが、アイルランド独立運動に荷担したとして処刑された外交官ロジャー・ケイスメント(1864~1916)、浪漫派詩人のアルジャーノン・チャールズ・スウィンバーン(1837~1909)、「ルバイヤート」の英訳者エドワード・フィッツジェラルド(1809~1883)、フランスの政治家・作家のシャトーブリアン(1768~1848)ら多数の人が登場するが、特にジョゼフ・コンラッド(1857~1924)に関する部分が印象に残る。それはコンラッドがはポーランド出身のイギリスの作家だからだろうか。ゼーバルト自身、ドイツ出身のイギリスの作家だから。
「移民たち」を思い起こすまでもなく、ゼーバルトの作品に登場するのは、禁止されていた時代の同性愛者だったり、異邦人だったり、迫害から逃れた移民だったり、はたまた零落した地主だったりと、歴史の流れで世間からはじき出されてしまった人ばかりだ。
そして今回の「土星の環」では、日本人にはなじみ深い「栄枯盛衰」「盛者必衰」の言葉が浮かんで来そうな街や建物が多く登場する。「はかないのぅ…」という感慨はイギリス人も抱くらしい。
いずれにせよ、ゼーバルトの博学ぶりには恐れ入る。おそらく自分が学生だったら飛びつくな…と思う。調べているだけでも楽しそう。
■著者:W.G.ゼーバルト著,鈴木仁子訳
■書誌事項:白水社 2007年8月10日 289p ISBN978-4-56-002731-8(ゼーバルト・コレクション)