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2007年3月21日

ガルシア=マルケスに葬られた女

ガルシア=マルケスに葬られた女ガルシア=マルケスの「予告された殺人の記録」のモデルとなったマルガリータ・チータの実像を追いかけたルポルタージュ。ルポルタージュのくせにわざと私信ふうなエッセイっぽい書き方にしているのは、「予告された殺人の記録」がいかにもルポルタージュ風に書いているのに、小説だと言い張るガボへの皮肉だろうか。

内容は小説家という生き物がいかに業の深い、情けのない生き物か、というよくあるお話。ガルシア=マルケスはマルガリータ・チータという人物の人生を自分の小説のモデルとしてとりあげたことでメチャクチャにした。にもかかわらず、彼女からの謝罪や訂正の要求を一切無視し続けた(彼女の死の直前に電話をかけたが、受けてもらえなかったというエピソードが入っているが‥)。

作家は、まずモデルとなった人物に取材をしておらず、事前に一言の断りも入れず本を上梓した。そのことを著者は非難する。だが、まず彼女自身に取材はできなかったと思う。すでにガボは小説家だったのだから、取材なんかしたら本に書くことがバレバレで、拒否されるのが明らかだったからだろう。それともカエターノが死んで彼の証言を聴けないのなら、マルガリータの証言も聴くべきでないと考えたのかもしれない。

この本の価値は最後の方、唯一のマルガリータのインタビュアーであるブラス・ピーニャの証言の部分だ。実際にマルガリータのインタビュー内容も載っている。彼女自身が家族の名誉のために受けたインタビューだが、著者は実際にブラスに会い、マルガリータが彼に対して嘘をついていたようには思えないと判断している。だから、真相と判断しても差し支えないのだろう。

著者は執拗に真相を求めているが、私は別に真相はわりとどうでも良いと思っている。もともと小説なのだし、カエターノなのかどうか微妙な感じで描いているのだから、そのまま受け取っておいた方が良いのだろうなと思う。「予告された殺人の記録」が真実を求めてのものではなく、「何故殺人が起こることがわかっていたのに、誰も止められなかったのか」というテーマを追いたかったものだから、この著者が何故ここまで真相に執拗なのか今ひとつピンとこない。

ただ、「予告された殺人の記録」の最後の部分、彼女が夫に手紙を送り続け、30年後1通も封を開けずにもってきた、というエピソードはいかにも嘘くさい。でも小説なのだからそれはそれで良いと思うのだが、モデル本人にとってみたら、一番気に入らないところなのだろうとは思う。

著者は明らかにマルガリータに対して同情的に書いているのだが、しかし彼女が結婚前にミゲルにはっきり言わなかったせいでカエターノが殺されたという事実をあまり重視していないように思われる。「結婚式初夜に処女でなかったことがわかったら実家に戻される」という風習自体がたとえ理不尽なものであったとしても、当時としては一般的なことだったわけだし、どういうことになるか明確にわかっていたのに何も言わなかった。そこに、この著者も認めているが、どこかで彼女が自分を裏切ったカエターノに対して「罰したい」という気持ちがなかったとは言えないのではないだろうか。

まぁ、ガボ愛好家にとっては、前出のブラスのインタビューやスクレという町の雰囲気なんかが少し参考になる程度かなというレベルです。

■著者:藤原章生著
■書誌事項: 2007年1月30日 246p ISBN978-4-08-781358-4
■内容:マルガリータ―de México/イシドロ―del Rio Magdalena/エスペランサ―de Sucre/ジーナ、マルタ、ウーゴ―de Sucre/ハイメ―de Cartagena/ハイメ、マーゴ―de Cartagena/ガブリエラ―de Cali/ルイサ―de Sincelejo/ルイサ―de Sincelejo/アマリア、ブランカ―de Sudáfrica,Sincelejo/ブラス―de Sincelejo/ブラス、ルイサ―de Sincelejo