最近読んだ本、見た映画・芝居、聞いたCD

2007年2月19日

柘榴のスープ

柘榴のスープテヘラン生まれの美しい三姉妹がアイルランドの田舎町バリナクロウでペルシア料理店バビロン・カフェを開く。差別や偏見と戦いながら、その魅力的な料理で町の人を引きつけながら次第に根を下ろしていく。そんな中、三姉妹の過去が亡霊のように蘇る事件が起きるが‥といった内容。

アイルランドとペルシア料理、なんだかとてつもなくイメージが結びつかない。一方は官能的で情熱的、一方は寒くて冷たいイメージ。イギリス人にとっては、イラン人というと革命の国から来たイメージなのだろうか、あるいはここに登場するトマス・マグアイアのように「魔女」的なイメージがあるのだおるか。日本人には出稼ぎ労働者が大勢来ていて、国籍を取得するために女性が騙されて結婚して、といった話が身近にあったりして、ちょっとイメージとしてはつかみにくい。

私はどうも「異国へ行って自分の国の料理を広める、あるいは食べさせる」というお話が好きなようだ。例えば「かもめ食堂」(フィンランドにて日本料理を)、「ショコラ」(アフリカ原産の食物をフランスの田舎にて)、「バベットの晩餐会」(デンマークにてフランス料理を)。主人公は必ずプロの料理家で、そういう女性は必ず段取り上手できれい好き。それに加えて偏見と闘う強さもあり、あらゆる面で辛抱強い。おいしそうな食材やきれいな食器、磨かれた調理道具。そういった素材も必ず登場し、すべて好ましく見えてしまう。

この物語の主人公・マルジャーンも妹二人を連れて革命を逃れ、ロンドンで働いてお金を貯め、ようやく安住の地を見つけてアイルランドの田舎に店を開く。偏見をもたずに近づく親切な人たちと追い出そうとする人たちとがいて、最後は必ず追い出そうとする一派が負けるのだが、この小説は途中が少々重たい話になってしまって、さすがイラン革命といったところか。

作者が2歳のときにイランを出てしまっていて、彼女の記憶には実際のイランはないのかもしれない。おそらく家族が語るノスタルジックなペルシアのイメージが植え付けられているのだろう。だからこそ、それだけで押し切ってもよかった気がする。無理にイラン革命の暗い面を書かなくても、とも感じた。著者が実際のところを「知らない」からこそ、かえってそれが出来ないのかもしれない。

三姉妹にとってアメリカナイズされた革命前のイランの方が楽しく、美しいものだったような描き方なので、いいのかな?と思いつつ、おそらく実際そうなんだろう。だいたい世界の歴史上「革命」と名の付くもので、女の人が幸せになったことはあまりない。

各章ごとにレシピがのっていて、材料も通販などで手に入れられそうなものばかりだが、さすがに難しそう。東京のペルシア料理屋はざくろ(日暮里)ボルボル(高円寺)LARIN(江古田)あたりが有名か。ベリーダンスや水たばこは避けたいし、少々都心から外れてる。アクセスが良いのはアラジン(六本木)か。ペルシア料理とトルコ料理は本書を読む限り、結構違う気がするんだが。私はこの中ではやはりザクロのスープと、ドルメを是非食べたい。とても難しそうだ。フェセンジューンなら前出の店で食べられるらしいが、ドルメは無理そう。

■原題:Marsha Mehran : Pomegranate Soup, Random House, 2005
■著者:マーシャ・メヘラーン著,渡辺 佐智江訳
■書誌事項:白水社 2006年7月10日 266p ISBN4-56-002746-3
■内容:第一章 ドルメ(米と挽肉をぶどうの葉でつつんもの)/第二章 赤ヒラ豆のスープ/第三章 バクラバ(お菓子)/第四章 ドゥーグ(ヨーグルトドリンク)/第五章 アープグーシュト(ラム肉の煮込み料理)/第六章 ゾウの耳(お菓子)/第七章 ラヴァーン(パン)/第八章 トルシー(漬物)/第九章 チェロウ(ご飯)/第十章 フェセンジューン(柘榴とクルミと鶏肉の煮込み料理でご飯に添えて食べる)/第十一章 偏頭痛薬/第十二章 ザクロのスープ/エピローグ ラベンダー&ミント・ティー