インディアナ、インディアナ
■原題:Indeiana, Indeiana
■著者:レアード・ハント著,柴田元幸訳
■書誌事項:朝日新聞社 2006.5.3 ISBN4-02-250187-1
■感想
amazonで表紙買い。柴田元幸訳作品は好きなものと嫌い…というか、さほどでもないものとあって、全体の量が多いのでどのくらいのパーセンテージかわからないが、多分好きなものの方が圧倒的に少ないのではないかと思う。悪くはないのだけど、合わないといった言い方の方が適切だと思う。その典型的なものがスティーヴ・エリクソン。嫌いではないけど、はまるわけではないというか…。
この作品を即買いできた理由に、値段がある。今時海外文学で1500円クラスでまともなものはあまりない。3000円クラスだったら即買いは無理。コスト・パフォーマンスって結構大事だと思う。
読んでみると、まぁまぁかな…。ちょっと頭のネジのゆるんだ男と、かなりいかれてしまわれている女性とのピュアな愛情と、二人が離ればなれになっていること、あるいは女性の方が死んでしまっているために生じる男の喪失感がしんしんと伝わって来ていい物語だと思う。訳者の言うとおり、見えないものが見えるという主人公に対して、すんなり入れるのはアメリカ人より日本人の方だろうなと思う。アメリカで自然とこういうものが書けるのは、インディアン絡みの文学くらいで、この作品は舞台はインディアナだけれど、特にインディアンが主要な登場人物なわけではない。
マックスが誰なのか、割合早い段階でわかってしまうのだが、どうも風貌が思い浮かばないというか思い浮かばせないようにしているのか。かなり重要なキーマンなのだが、もったいない気もするし、でも出過ぎないところがいいのかもしれない。出過ぎと言えば、ヴァージルがよく喋る。彼が狂言回しのようになっていて、テンポを作り出しているから読み進めていけるのだが、オーパルの手紙がまた別のリズムを作っていて、読んでいて面白い。スーっと読んでフーっと息をつく感じか。
オーバルの手紙が別の書体になっていて、出だしが「いとしいノア」になっている。この手紙を差し込んでいることが、オーパルとノアのピュアな感情と決して近寄れない二人の間をふわっとした情感のある作品に仕上げている最大の要因だなと思う。
内容によりけりだが、この作家のものがまた刊行されたら読むような気がする。そんな作品だった。