僕はマゼランと旅した
■原題:I Sailed with Magellan : Stuart Dybek, 2004
■著者:スチュワート・ダイベック著,柴田元幸訳
■書誌事項:白水社 2006.3.10 ISBN4-560-02741-2 400p
■感想
結構量は多いが、どんどん読み進めて行って読み終わってしまうのがもったいない気がしてしまう。だから、ゆっくり読んで、繰り返し読んで、そんな、大事な、宝物のような小説だった。長篇ではなく、連作短篇集という、一篇一篇が独立しているが、長さも主役も異なるというスタイルをとっている。
全体として共通しているのがシカゴの下町を舞台にしていること。一応は主人公がいて、その「僕(ペリー・カツェック)」の視点の作品が多いという点では長篇とも言えるかもしれない、一つの世界を形作っている。子供の視点で書かれているところからスタートするので、懐かしさを感じるが、途中から感情移入を許さない厳しさを感じたりもする。みずみずしいが単純にアメリカの子供のお話というわけでもない。ずっと子供の視点だったのが、「胸」で突然登場人物が変わってしまったり、それまで脇役だった人物が突然主役になったりと、一筋縄ではいかないが、乗ってしまえば楽しい作品だ。
「歌」
主人公=僕が子供の頃のお話。僕は母の弟レフティ叔父さんに酒場を連れ歩かれ、そこで「オールド・マン・リバー」を歳のわりに野太い声で歌う。すると、雨あられと小銭が降ってくる。少しずつ、奇妙な叔父さんの半生が語られる。
「ドリームズヴィルからライブで」
弟のミックとの子供の頃のお話。子供の想像力ってやつは、タフだなぁと思う。
「引き波」
兄弟がサーと呼んでいる父親と一緒に海水浴に行く話。父親の父親が精神病院に入っていたことが触れられている。現実的で、ケチで、少し間が抜けていて、カッコ悪いと思っている反面、この兄弟が父親を愛していることが、この後「ケ・キエレス」でも感じられる。
「胸」
突然殺し屋に主人公が移ってしまう。意表を突くが、ペリーやミックとのかかわりが最後の方になってわかってくる。
「ブルー・ボーイ」
下手をするとお涙ちょうだいになってしまう、障害のある少年のお話を、優等生の女の子を交えることでピュアな感動を呼ぶ作品に仕上げている。これは見事。少年の兄の描写がさえている。
「蘭」
僕が高校生になっていて、友達とメキシコへ行こうなんて話をしている。一番みずみずしい青春らしい物語で、オチの間抜けさも、いい感じ。
「ロヨラアームズの昼食」
僕が高校を出る頃のお話。好きなんだけれど、少し暗い印象。
「僕たちはしなかった」
これが一番独立性の高い短篇ではないかと思う。おかしいけれど、哀しい。
「ケ・キエレス」
弟のミックが主人公。中学生で父の転勤に付き合わなければならなかった彼のその後の人生が面白い。
「マイナームード」
短いが、この作品が一番好きだ。すべてにおいてリズミカルで、レフティとおばあちゃんのやりとりや蒸気に曇った窓ガラスが目に浮かぶどころか、その熱気が肌に感じられるほどだ。主人公のことをずっとポーランド移民の3世くらいなんだろうと思っていたが、お母さんのおばあちゃんになるわけだから、主人公は4世になるわけだ。ということで、このおばあちゃんはホンモノのポーランド人なんだろう。子供時代に優しくしてもらった想い出が一つでもないと、人は生きていけないんだろう、と思わせる。
「ジュ・ルヴィアン」
最後は叔父さんで締められている。僕のちょっとした冒険のお話。
出色は「ブルー・ボーイ」や「僕たちはしなかった」なんだろうが、私は「マイナー・ムード」が好きだったりする。また、「欄」「ロヨラアームズの昼食」「僕たちはしなかった」などは主人公が思春期の話だから、当然好きな女の子の話になっていくわけだが(「ブルー・ボーイ」の優等生の女の子も重要だが)、やっぱり僕、サー、ミック、レフティ叔父さんあたりがメインで、どうも女性の存在が薄い。その最たるものが母親がほとんど出てこないことだろう。しかし、「ケ・キエレス」なんかで子供の頃の家庭料理が出てくるところを見ると、一応母親の存在は見えなくはないのだが、ちょっとこういう子供時代がメインの話にしては意外だなと思ったりする。
海外文学を読む人には絶対オススメである。