消去 ある崩壊〈上〉
■原題:Auslöschung; Ein Zerfall by Thomas Bernhard copyright Suhrkamp Verlag 1986
■著者:トーマス・ベルンハルト著,池田信雄訳
■書誌事項:みすず書房 2004.2.5 ISBN4-622-04869-8
■感想
長篇のため、上だけで、一度メモ程度に。上が第一部「電報」、下が第二部「遺書」という構成になっている。
主人公フランツ-ヨーゼフ・ムーラウがオーストリアのヴォルフスエックへ妹の結婚式のために帰郷し、ローマに戻って来たとたんに両親と兄の訃報が届く。フランツ-ヨーゼフはガンべッティという青年の個人教授をして生計を立てているのだが、それは表向きで、生計を立てる必要性などなく、ローマでも一番豪華な部屋を借り、家からの仕送りで生きている。彼の家はオーストリアでは非常に裕福な旧家で農業経営者だから、そんなことが可能なのだ。偏狭な中欧の片田舎である故郷をゲオルグ叔父の導きで出て以来、ウィーン、ロンドン、ナポリなどを転々としたが、今は少数だが友人もいるローマに落ち着いている。
最初から最後まで故郷ヴォルフスエックへの呪詛が延々と綴られる。両親と兄、妹を心の底から憎み、軽蔑し、幼い頃の不平を並べていく。何一つ精神的なもののない、空っぽな家族を呪い続ける。カソリックの教義に縛られ、自由な精神もなく、哲学することもなく、ただひたすら経済的観点のみを考える、無意味な人たち。この小説は彼にとって、あまりに大きな「ヴォルフエック」という存在を自分の頭の中から「消去」するために綴っているのだ。世界を全面的に破壊し、否定してから、自分に耐えられると思う形で再生する、それが世界を変えるということ。
中欧的な凡庸さ、偏狭さを嫌い、南に憧れ、南の自由と開放的な精神を愛するのは、ドイツ文学の古典時代からの伝統であろう。だいたいゲーテからしてがそうだから。一度も改行のない文章を延々と読み続けるのはさすがに疲れるが、こちらの精神がきちんとしていないと、彼の憎しみと呪詛に耐えられない。読みづらいわけでも、つまらないわけでもないが、中断すると、きっかけがないと再度取り組みにくい本だと思う。できれば一気読みが良い。
一家の歴史を語るわけだから、当然ナチズムやカソリック教会への批判が噴出するが、それはほんの一部で、彼の攻撃のまとは写真、ドイツ人の肩書き主義、イタリアのブランド店をめぐる母親、聖職者の愛人のいる母親、書庫の鍵を開けようとしない家族、ありとあらゆるところへと広がる。舞台がオーストリアのため、ドイツとは少し違うけれど、なんだかとてもオーソドックスなドイツ文学なようだ。