ふちなし帽
■原題:Die Mütze : Thomas Bernhard, 1988
■著者:トーマス・ベルンハルト著,西川賢一訳
■書誌事項:柏書房 2005.8.10 ISBN4-7601-2732-1
■感想
ついにトーマス・ベルンハルトである。何がついにかっていうと、「周辺部をうろうろしていたけれど、ついに独文に戻って来たなぁ…」という感慨があってのことである。だって18年も遠ざかっていたのですもの(ゼーバルトはドイツ人だけど、英語で書いてるので独文ではない)。ベルンハルトは故人ではあるが、立派な現代作家。それも最近非常に評価の高い作家である。でも、「カフカやベケットに通じる…」っていうのは、当たらずといえども遠からずではあるが、うたい文句としては逆効果じゃないだろうか。少なくとも私にはそうだ。ちょっと敬遠したくなるふれこみだ。
おそるおそる短篇集から入ってみた。面白い。頭のおかしい人の話なんだけど、いわゆる不条理系のもつ(なんていいかげんな表現…)不時着感というか、「落ち着かないな…」という感じがない。それから、短篇のせいもあるのか、じわじわと真綿でしめつけていくようなところがない。先日読んだ「オリエント急行戦線異状なし」のような、と言えばいいだろうか。この先主人公がどういうところから抜け出せなくなっていくのか、私の場合先を読もう読もうとしてしまい、あまり楽しめないのだ。
「ヴィクトル・ハルプナル」は800シリングの賭けに勝つために、2500シリングの義足を無駄にするのだが、何故か彼の行動に何の矛盾も違和感も感じず、おかしさしか見いだせない。「喜劇? 悲劇?」では演劇を軽蔑しながらも、前売り券を買う男が出てくるが、こういう人物は現実生活でよく見かける気がする。実際は文句を言うために実際に見てしまうのだが、この短篇では結局芝居を見てはいない。
刑務所を出ることを恐れる模範囚「クルテラー」。後から解説を読むと主人公が自殺するという最後の一節が抜けているとのこと。確かにそれがあった方が「オチ」があると言えるのだが、ないからといって気持ち悪いとは思わない。妙な浮遊感のある終わり方ということもなく、彼が消えてしまうことが明示されていると感じるエンディングなのである。件の一節はとても余計な気がする。
「大工」が気に入っている。いわれのない暴力に脅かされているのは妹やまわりではなく、ほかでもない本人なんだろう。それにしてもこの弁護士の冷静沈着ぶりがかなり怖い。
表題作「ふちなし帽」の秀逸さは、よくわからないようで、わかる気がする…。そんなことをする必要性がないのに、こうしなくっちゃと思う思いに突き動かされていく有様がおかしくもあり、怖くもある。
「イタリア人」なんかは金持ちのイタリア人やドイツ人はよく屋敷で芝居をするのだなと、ゲーテしかり、ヴィスコンティしかり、と思った以外は、よくわからない…この話は難しい。
全編に共通するのが、狂っているとか、矛盾しているとか、不条理だとか、言えなくもないのだが、とても身近な感じがするのが不思議だ。怖いのだけど、おかしい。トーマス・ベルンハルトははまりやすい作家だそうだが、このまま私もベルンハルトにはまっていくのか、いかないのか、まだ結論は出ない。とりあえず次、何か読んでみよう。