■著者:ナサニエル・ホーソーン,エドゥアルト・ベルティ著,柴田元幸、青木健史訳
■書誌事項:新潮社 2004.10.30 ISBN4-10-544901-X
■感想
「ウェイクフィールド」は1835年に発表されたホーソーンの短篇で、特に理由なく家を出て、すぐ隣の通りに居住を構え、家の様子をうかがい続ける。そして20年後に何気なく帰って、そのまま終生良い夫であり続けた男の話。文学批評上よく引き合いに出される有名な作品である。「ウェイクフィールドの妻」はアルゼンチンの新鋭作家が書いた「妻の側から見たウェイクフィールド」。妻は夫が近くに住んでいることを知っていながら20年を過ごしたというお話。
ホーソーンの短篇の位置づけは「都会小説の始まり」といったような感じだろうか。ロンドンが舞台で、人間と人間のかかわりが薄くなっている時代からこそ出来た芸当なのだから。隣の通りに住んでいて、近所の人に気付かれずに済むなどというのは田舎しかなかった時代にはあり得ないだろう。
では、謎の多い「ウェイクフィールド」に対し、「ウェイクフィールドの妻」の方はすべてに解答を出しているかというと、そうではなく、淡々と妻の日常を追う。それでも「夫の方は仕事はどうしたのだろう?どうやって生計を立てていたのだろう?」「妻の方はどうやって生計を立てていたのだろう?別にお貴族様でもないようだし、夫がいなくなって、家を維持するのはどうしたのだろう?」「妻は夫の仕事先に聞かなかったのだろうか?」「親類縁者は?」等々。
ベルティはウェイクフィールド家に色づけをする。二人の家庭は典型的な中産階級で、メイドが一人と力仕事をする男の使用人が一人。子供はいない。夫の両親は死んでおり、兄弟もいない。妻の方は姉が一人いて、姪もいるが、両親は死んでいない。夫の仕事は役人のようだ。夫は仕事を休暇という形でいなくなり、結果的には退職して他の仕事につく。妻には時折匿名で仕送りするが、最後の方は姉の夫に経済的に援助してもらっているようだ、というような流れで組み立てている。
だが、何故特に理由もなく夫は出て行ったのか、妻は夫の居場所を知りながら夫に戻って来るよう頼まなかったのかというような肝心な疑問には答えていない。でも、この元の短篇に厚みを増したようなベルティの作品を読んでいるうちに、都会に暮らす孤独で平凡な人間ほど、先の見える人生が怖くなってしまったり、わけのわからない狂気じみた行動に走ってしまうことはあるだろうなぁと、納得している自分に気付く。
ただ、ベルティがラストを変えてしまったのは気に入らない。夫は20年経過して死にに戻ってきた。家に帰って1日で死んでしまった、というのはもともとのホーソーンの作品とは異なる結末である。それでは妻があんまりだ。