最近読んだ本、見た映画・芝居、聞いたCD

2005年5月

2005年5月27日

ディナモ―ナチスに消されたフットボーラー

ディナモ―ナチスに消されたフットボーラー■原題:DYNAMO Defending The Honour of Kiev
■著者:アンディ・ドゥーガン著,千葉茂樹訳
■書誌事項:晶文社 2004.10.5 ISBN4-7949-6636-9

■感想
「アヤックスの戦争」のナチスとサッカーというテーマの流れで、有名な「死の試合」ディナモ・キエフの伝説に関する本書を手にとってみた。これは1941年8月9日にウクライナの首都キエフで行われた試合のことである。ディナモ・キエフの選手からなるチームが占領軍であるドイツ軍の精鋭からなるチームに対して大勝を収めてしまい、試合会場からユニフォーム姿のままトラックで連れ去られ、全員銃殺されたというものだ。この伝説は戦後スターリンのプロパガンダに使われたりして、真実が伝わりにくく、実際はどうだったのかが見えないことが多かった。本書では、判明した事実を取り上げ、この伝説と異なり、選手は全員ではなく4人、それも試合の半年後、収容所で殺されているという。また、選手は全員がディナモ・キエフの選手ではなく、ロコモティフの選手もおり、前後の流れも含め、淡々と事実を追っている。

やはりナチもの、それも対ソ戦でもっとも過酷な扱いを受けたウクライナなので、非常にキツイ内容だが、読み進みにくいのはそのせいばかりではないだろう。ルポルタージュとして悪くはないが、やはりサッカーを取り上げている以上、もう少し筆力をもってして、面白おかしくというわけにはいかないが、ぐいぐい引っ張るものがないなと感じた。確かに描かれている事実は興味深いので、惜しいなと感じる。

最初は占領地域の市民のなぐさみもので始めたサッカーの試合だったが、アーリア人の優位を見せつけ、キエフ市民を精神的に抑圧し、見せつけるための試合で逆にウクライナ人の優位性を見せつけられる結果となった。しかもこの試合の前にも何度も試合を行って大敗している。試合前の「ハイル・ヒットラー」を拒絶するのみならず、勝ってはいけないとはっきりSSに言われているのに、勝ってしまった。もちろん、選手は勝利の後に死が待っているであろうことは予想出来ていた。

この試合でキエフが勝ったのは、抑圧されている市民のため、国家のために戦うという崇高な目的をもったチームだったからだというような精神的な優位性を強調していないところが本書の良いところだと思う。もちろん、それはあるだろうが、戦前ディナモ・キエフが非常に強かったこと、占領直前まで指揮をとっていた監督の戦術が当時としてはモダンで、選手に浸透していたこと、もともと選手がfor the teamに徹するチームだったこと、選手個人個人は体力や若さでは圧倒的に劣勢だったものの、試合経験やテクニックで優れていたことなどを主な勝因にあげているので、納得できる。だが、おそらくは「自分の命を守るために手を抜いて負ける」ということはやろうと思っても出来なかったのではないかと私は思う。一度ピッチに立ってしまえば、サッカー選手というのはそういうものではないかなと思った。

結局、収容所で人気選手ばかり殺されたのは彼らがドイツとの試合に勝ったことによる意図的なものか、それとも他の人々と同じ単なる虐殺だったのかは、本書でもはっきりとは記されていない。しかし、生きて帰って来る者がほとんどいない収容所に送られた段階で、ドイツ軍に彼らを殺す意図はあったのは確かだ。

それにしても40万人が8万人に減らされるというのは、ドイツのジェノサイドに対する力の入れようというか、たいした労力だと、ナチものを読む度、その国家的にシステマチックな犯罪に圧倒されてしまう。

ウクライナという辺境のサッカーについて、国について、俄然知りたくなって来た。シェフチェンコの国だもんね。

われら女性~第五話「アンナ・マニャーニ」

われら女性■原題:Siamo Donne
■制作年・国:1954年 イタリア
■監督:ルキノ・ヴィスコンティ
■製作:アルフレッド・グワリーニ
■脚本:チェザーレ・ザヴァッティーニ/スーゾ・チェッキ・ダミーコ
■撮影:ガボール・ポガニー
■音楽:アレッサンドロ・チコニーニ
■編集:マリオ・セランドレイ
■出演:アンナ・マニャーニ

■内容
アンナ・マニャーニがまだレヴューに出ていた頃。犬を連れ、劇場へ向かうタクシーに乗った彼女に対し、タクシーの運転手はタクシー代金4リラ50のほか、犬の料金を1リラ要求する。タクシー会社の規則によると、犬は膝の上に乗る犬は無料だが、膝の上に乗らない犬は1リラ料金を請求できるとあると主張する。マニャーニはいつも犬を連れているが、そんなことを言われたのは初めてだし、第一犬は膝の上に乗る子犬だから無料のはずだと主張する。ところが運転手は、小さい犬だが子犬ではないから、請求できるはずだと屁理屈を言う。腹が立ったマニャーニは自分の主張の正しさを証明するため、タクシーで警官を捜しに行く。ところが警官は犬が鑑札をつけていないからと罰金を請求する。しぶしぶ罰金を払ったマニャーニだが、それでもなお自らの正しさを証明するため、今度は憲兵のところへ向かう。劇場では舞台監督が彼女の到着をイライラしながら待っている。マニャーニは出番に間に合うか。


■感想

イタリアは複数監督によるオムニバス映画がさかんだが、これは当時輝いていた「女優」をテーマにした映画。各エピソードにおいて主演者は実名で登場する。第一話は製作者自身が監督しており、新人女優のオーディションを描いていて、「ベリッシマ」を彷彿とさせる。第二話のアリダ・ヴァリはこの後の出演作が「夏の嵐」である。第三話のイングリット・バーグマンは珍しくコミカルな様子を見せる。

この映画の中でもっとも興味深いエピソードは第四話の「イザ・ミランダ」だ。「女優の部屋は博物館のようだ」とはよく言ったものだ。多くの有名画家に画かせた自分の顔の絵がずらっと並び、写真やポスターのみならず、出演した映画のシナリオなど大量の資料がきっちり整理されている。まさに「自分マニア」なのである。そして大女優であり続けるために、肉体の鍛錬を続け、女優業に集中できないよけいなものを排除するため、子供をつくらなかった。そんな彼女がふと出会った子供との交流を通して、自分が得られなかったものを感じる。五本のエピソードの中では一番せつないお話だ。

さて、第五話でようやくヴィスコンティが登場する。ヴィスコンティはパワフルなマニャーニがお気に入りで、これはマニャーニ自身が実際に遭ったエピソードに基づいている。マニャーニはたった1リラのために、追加のタクシー料金と罰金を払わされても、それでもしつこく自分は正しいと言い続ける。最後、「膝の上とは」という解釈を辞書をもってしてくれる軍人のおかげで胸をなでおろすのだが、結局タクシー運転手はしつこく1リラを要求する。自分の正しさが証明されたマニャーニは笑いながら払う。なかなか痛快な姿で、かっこいい。

全体
■製作:アルフレッド・グワリーニ
■音楽:アレッサンドロ・チコニーニ


第一話「四人の女優の一つの希望」
監督:アルフレッド・グワリーニ
脚本:チェザーレ・ザヴァッティーニ
撮影:ドメニコ・スカラ
出演:エンマ・ダニエーリ/アンナ・アメンドラ

第二話「アリダ・ヴァリ」
監督:ジャンニ・フランチョリーニ
脚本:チェザーレ・ザヴァッティーニ/ルイジ・キアリーニ
撮影:エンツォ・セラフィン
出演:アリダ・ヴァリ

第三話「イングリッド・バーグマン」
監督:ロベルト・ロッセリーニ
脚本:チェザーレ・ザヴァッティーニ/ルイジ・キアリーニ
撮影:オテッロ・マルテッリ
出演:イングリッド・バーグマン

第四話「イザ・ミランダ」
監督:ルイジ・ザンパ
脚本:チェザーレ・ザヴァッティーニ/ジォルジォ・プロスペリ
撮影:ドメニコ・スカラ
出演:イザ・ミランダ

2005年5月16日

アヤックスの戦争―第二次世界大戦と欧州サッカー

アヤックスの戦争■原題:Simon Kuper "Ajax, the Dutch, the War: Football in Europe During the Second World War", orion 2003
■著者:サイモン・クーパー著,柳下毅一郎訳
■書誌事項:白水社 2005.2.10 ISBN4-56004970-X

■感想
サイモン・クーパーの書くものは絶対に面白い。彼は世界でもトップクラスのサッカー・ジャーナリストで、特に「政治とサッカー」「歴史とサッカー」が得意。昔オランダ語で書いたものを英語版で増補改訂した2003年の著書ということで、特別アヤックスが好きなわけではないが、即買う。

私はナチズムにはいささか食傷気味なのではあるが、イギリス、フランス以外の諸外国の対応というものには目を向けたことがなく、被占領地域の戦時下の状況について初めて知ることも多かった。ポーランドのユダヤ人大虐殺は有名だが、オランダの数も相当なもの(ユダヤ人口の四分の三)だったことに驚かされた。と同時にデンマーク人の国をあげてのユダヤ人庇護はすごいなと。有名なアイヒマン裁判を描いた著書「イェルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告」が本書の中でも参考文献としてあげられていて、ハンナ・アーレントは敷居が高かったが、この際読んでみようかと思わせる。

1930年代に急激に盛り上がったヨーロッパ大陸のサッカーだが、その国際交流が盛んになったのはナチの親善外交によるものだった。さらに、被占領地域において戦時下の数少ない娯楽がサッカーだった。イタリアはファシズム対反ファシズム、スペインは国内での地域間抗争等様々な要因があるのだが、全体的に戦前戦後で盛り上がったことは確かだ。ワールドカップが始まったのが1930年だったし。

アンネ・フランクを屋根裏にかくまったのも、裏切って密告したのもともにオランダ人。オランダ人と言えば合理的で節制家で知られるが、日本人の自分としてはその臆病さ故に多少シンパシーを感じないこともなかったんだが、ちょっと考えてしまう。

アヤックスが未だに「ユダヤのチーム」と呼ばれ、星印の旗がひらめくようなクラブなのに、何故戦前戦後の時代、クラブとユダヤ人とのかかわりを否定しているのか、それがこの本の最大のミステリーである。行ったことのある人は、サッカーファンなら一度はあのアムステルダム・アレナには行くべきだと言うのだけれど、チケットはソシオだけなのでリーグ戦は入れないそうだ。CLのツアーとか、あればそっちに行くのだが。

それから、この本を是非小野伸二くんに読んでもらいたい。フェイエノールトの応援がそんな反ユダヤ的なものと知っているのかどうか。そんなもんなんだなぁで流しているんだろうな、きっと。

全体的には著者本人がユダヤ人のわりに感情的にならず、冷静な文章だが、内容的にどうしてもジェノサイドが入るため、胸をつかれる部分もある。しかし、思わず吹き出してしまう一言もあって、とても楽しかった。ジェノサイドにあったオランダのユダヤ人は、親兄弟や親戚のほとんどをなくした。「あのとき自分がこうしていれば誰それは助かったのに」とか嘆き続けたり、孤独感にさいなまれて苦しんだあげくの涯てに自殺なんかしないで、戦後はとっとと結婚し、ガンガン子供を産み、他の民族はあてにならないので一生懸命働いて経済力を得た…というくだりがとても好きだ。とてもタフな民族で、それだけで愛すべき人たちだと私は思う。

2005年5月 3日

Americanfilm 1967-1972「アメリカン・ニューシネマ」の神話

「アメリカン・ニューシネマ」の神話■著者:ブラック・アンド・ブルー編
■書誌事項:ネコ・パブリッシング  1998.3.16 ISBN4-87366-162-5
■内容
こんな本が出ているとはまったく知らなかった。これでも「アメリカン・ニューシネマ」にはそれなりに詳しいつもりだったのだが。しかし「アメリカン・ニューシネマ」という言葉はそもそも日本でしか通用せず、欧米にないものだから、資料が少ないのは当然だろう。ここでは「アメリカン・ニュー・ウェイブ」と言っていたりもするが、やっぱり昔からのなじみ深い「ニューシネマ」の方が好きだったりする。

「アメリカン・ニューシネマ」は「タイム」で言われたのが最初。このときはそれなりにちゃんとした定義があったのだが、日本で定着したのは、本当に曖昧な定義である。

1.「反体制」あるいは「体制拒否」的な姿勢
2.アンチ・ヒーロー
3.ロックやポップスの感覚的な使用
4.アンハッピーエンド
5.ドキュメンタリー調の映像

日本では実際上記のような特徴をなんとなく備えているものは全部「アメリカン・ニューシネマ」という漠然とした呼ばれ方をしている。しかし私の中ではとても振幅あって、一概にはどうもくくれない、という違和感ももちろんある。

本書は、日本では未公開だったりビデオ販売のみだったりするマイナーな映画も取り上げていて、型どおりの選び方ではないので結構面白い。だが定価が安い(1500円)とは言え、安い紙使ってるなぁ。ムックじゃないんだからさ。それに私は著者陣も遠野純生しか知らない。しかも、一覧すらない…使えないなぁ。ちょっとうさんくさい映画の本だった。知らない筈だわ。

掲載映画一覧
1967
Bonny and Clyde「俺たちに明日はない」
The Graduate「卒業」
Born Losers「地獄の天使」
You are a Big Boy Now「(大人になれば…)」
In Cold Blood「冷血」
Reflections in a Golden Eye「禁じられた情事の森」
Cool Hand Luke「暴力脱獄」
The Incident「ある戦慄」
Point Blank「殺しの分け前 ポイント・ブランク」

1968
The Fox「女狐」
Faces「フェイシズ」
The Swimmer「泳ぐひと」
The Sergeant「軍曹」
Rachel, Rachel「レーチェル レーチェル」
Night of the Living Dead「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」
Greetings「(BLUE MANHATTAN II 黄昏のニューヨーク)」
Wild in the Streets「(狂った青春)」
Targets「殺人者はライフルを持っている」
The Boston Strangler「絞殺魔」
Head「ザ・モンキーズ HEAD! 恋の合言葉」


1969
Butch Cassidy and the Sundance Kid「明日に向かって撃て!」
Alice's Restaurant「アリスのレストラン」
Easy Rider「イージー・ライダー」
Bob & Carol & Ted & Alice「ボブとキャロルとテッドとアリス」
Who's That Knocking at My Door?「ドアをノックするのは誰?」
The Rain People「雨の中の女」
That Cold Day in the Park「雨にぬれた舗道」
Downhill Race「白銀のレーサー」
Puzzle of a Downfall Child「ルーという女」
Midnight Cowboy「真夜中のカーボーイ」
Medium Cool「アメリカを斬る」
Goodbye, Columbus「さよならコロンバス」
Last Summer「去年の夏」
Tell Them Willie Boy is here「夕日に向かって走れ」
The Arrangement「アレンジメント」
The Wild Bunch「ワイルド・パンチ」
They Shoot Horses, Don't They?「ひとりぼっちの青春」
The Sterile Cuckoo「くちづけ」
John and Mary「ジョンとメリー」
The Gypsy Moth「さすらいの大空」

1970
Litle Big Man「小さな巨人」
Catch-22「キャッチ22」
Five Easy Pieces「ファイブ・イージー・ピーセス」
Alex in Wonderland
M★A★S★H「M★A★S★H」
Brewster McCloud「BIRD★SHT」
The Landlord「真夜中の青春」
The Boys in the Band「真夜中のパーティ」
Joe「ジョー」
Beyond the Valley of the Dolls「ワイルド・パーティー」
The Honeymoon Killers
Soldier Blue「ソルジャー・ブルー」
Where's Pappa?
The Strawberry Statement「いちご白書」
Getting Straight「…YOU…」
Drive, He Said
The Revolutionary
Bloody mama「血まみれギャング・ママ」
Gas-s-s-s, or It Became Necessary to Destroy the World in Order to Save It
End of the Road

1971
The Christian Licorice Store
Carnal Knowledge「愛の狩人」
Harold and Maud「ハロルドとモード 少年は虹をわたる」
Taking off「パパ/ずれてるゥ!」
Two-Lane Blacktop「断絶」
Born to Win「生き残るヤツ」
Who is Harry Kellerman and why is he saying those terrible things about me?
A Safe Place
Bananas「ウッディ・アレンのバナ」
The Last Picture Show「ラスト・ショー」
The Boguiled「白い肌の異常な夜」
The Grissom Gand「傷だらけの挽歌」
Vanishing Point「バニシング・ポイント」
The Last Movie「ラスト・ムービー」
Fat City「(ゴングなき戦い)」

1972
Bless the Beasts & Children「動物と子供たちの詩」
The Visitors
The King of Marvin Gardens