ルートヴィヒ〔完全復元版〕
■原題:Ludwig
■制作年・国:1972年 イタリア/西ドイツ/フランス 240分
■監督:ルキノ・ヴィスコンティ
■製作:ウーゴ・サンタルチーア
■脚本:ルキノ・ヴィスコンティ/エンリコ・メディオーリ/スーゾ・チェッキ・ダミーコ
■撮影:アルマンド・ナンヌッツィ
■音楽:フランコ・マンニーノ
■衣装:ヒエロ・トージ
■助監督:アルビーノ・コッコ
■出演:ヘルムート・バーガー(ルートヴィヒ2世)/ロミー・シュナイダー(エリザベート皇后)/トレヴァー・ハワード(ワーグナー)/シルヴァーナ・マンガーノ(コジマ)/ゲルト・フレーベ(ホフマン神父)/ヘルムート・グリーム(デュルクハイム)/イザベラ・テレジンスカ(マリア皇太后)/ウンベルト・オルシーニ(ホルンシュタイン伯爵)/ジョン・モルダー・ブラウン(オットー)/フォルカー・ボーネット(カインツ)/ハインツ・モーク(グッデン教授)/アドリアーナ・アスティ(リラ・フォン・ブリオスキー)/ソニア・ペトローヴァ(ゾフィー)/マルク・ボレル(ホルニヒ)/ノラ・リッチ(イーダ・フェレンツィ伯爵夫人)/マーク・バーンズ(ハンス・フォン・ビューロー)
■内容
バイエルンの王ルートヴィヒ2世は父マクシミリアン2世急死のため19歳で即位した。彼は国に偉大な芸術家を招いて豊かな王国にすることを夢見る。早速作曲家のワーグナーを招いて、豪華な家を贈ったり、上演したり、劇場を作ったり、とふんだんに金をつぎ込む。そういった彼の行動は政府から非難され、やむを得ずワーグナーをミュンヘンから退去させることに同意する。
ルートヴィヒが愛しているのはオーストリア皇后エリーザベト。だがその思いは当然かなわない。彼女も弟のようにルートヴィヒを心配している。国民のために彼女の妹ゾフィーと婚約するが、結局婚約破棄することになってしまう。それが不幸の始まりだったのだが...
■感想
契約のため3時間にカットされて公開された「ルードヴィヒ―神々の黄昏」に対し、後年スタッフがほぼヴィスコンティの予定通りの編集をほどこした4時間版を「ルートヴィヒ 完全復元版」と呼ぶ。なんだか書籍によっては「ルードウィッヒ」とかもあるので、要注意。
この映画はバイエルン王ルードヴィヒ二世が1864年18歳で即位し、1886年40歳で謎の死を遂げるまでの生涯を描いている。ヴィスコンティのドイツ3部作の最後の作品であり、最も規模の大きな作品となった。極寒のオーストリアやドイツでのロケを敢行、あまりのハードさに撮影終了後、編集中にヴィスコンティは心臓発作で倒れてしまった。基本的に、男どうしが豪華だけど暗い部屋の中、暗い顔で話し込んでいるシーンが多い、暗い映画である、と断言する。しかし、ロケシーンとお城のシーンは本当に美しい。部屋の中も豪華なんだけど、暗いから、見えづらいときがある。
この「狂王」と呼ばれるルートヴィヒ二世については、ドイツに惹かれたことのある者なら誰でも一度は触れたことがあるだろう。リンダーホフ城、ノイシュバンシュタイン城、ヘレンキームゼー城を築いた人物で、ワーグナーのパトロンとなって「トリスタンとイゾルデ」を上演させた王様である。伝記的要素としては、まずは簡単な家系図を頭に入れておきたい(参考サイト)。ルートヴィヒには弟のオットーがいて、後に摂政となるルイトポルトは父の弟、すなわち叔父に当たる。問題のエリーザベト・ゾフィー姉妹は正確には従姉妹ではなく、ルートヴィヒの父親が彼女らの従兄弟になる。
歴史的要素としては1866年に普墺(プロイセン=オーストリア)戦争ではオーストリア側について参戦し敗北。普仏(プロイセン=フランス)戦争においてはプロイセン側で戦争に参加し、こちらは大ドイツ統一の一助となる動きをしている。この王様はドイツ統一、近代国家への歩みの中では衰退せざるを得なかったヴィッテルバッハ王家の末裔という位置づけで私は講義を受けた記憶がある。
豪華絢爛、素晴らしいしい様式美。だが私の一番好きなシーンはエリザベートとの雪の夜を馬で行くシーン。次に好きなのは薔薇の島へ湖水をすべるように、エリザベートが到着するシーン。両方ともとても寒いのだが、穏やかな美しさに満ちている。やっぱり私はエリザベートが好きなんだなぁ。夜のシーンが多いので、暗いのだけど、この「夜」というのが映画のキーなので、当然だ。
役者たちもまたヴィスコンティ映画総決算のように過去に手に入れて来た俳優を上手に配置し、彼らも素晴らしい演技を見せている。「地獄に堕ちた勇者ども」で妖しい魅力が爆発したヘルムート・バーガー。この後「家族の肖像」にも出るが、実際この俳優はこの3本で終わりだ。若く凛々しい王様が暴飲暴食がたたり醜くなっていく有様は圧巻。特にラストの方、狂気なのか正気なのかわからないという王を演じさせると、さすがにぴったり。この王様の写真は残っていて、若い頃美しかったのが見る影もなく太っていく姿は「狂王ルートヴィヒ」(ジャン デ・カール著 中公文庫)の口絵に載っている。若い頃美しかった、ということではないが、何故かふと最近のディエゴ・マラドーナに思いが及ぶ。
シシーことエリザベート皇后はロミー・シュナイダー。子役と言ってもよい年代に「プリンセス・シシー」を演じて人気を博し、それが元で女優として一皮むけなかった時代、舞台で叩いて素晴らしい女優に育てたのはヴィスコンティ自身。34歳のロミー・シュナイダーはもはや風格漂う女優になっていて、気品と知性にあふれ、快活で、絶世の美女と言われるエリザベートを見事に演じた。彼女が登場するシーンだけが、この美しいけれど陰鬱な作品の中でほっとできるひとときである。
「地獄に堕ちた勇者ども」でマルティン(ヘルムート・バーガー)をナチの道に引きずり込む悪の手先、SSのアッシェンバッハ(ヘルムート・グリム)が、「ルートヴィヒ」では王のために最後まで誠実で忠誠を尽くすデュルクハイム大佐となって登場するのは、なかなか皮肉な組み合わせである。すごく腹黒い悪い奴とすごい誠実な人物と、両方演じられるのはさすがに役者だなぁ。軍服の似合う俳優である。
初めてこの映画を見たとき、ワーグナー役の役者があまりに本人の肖像がと似ているので、ちょっと驚いたほどだ。シルヴァーナ・マンガーノは私の中のコジマ像よりは、少し艶っぽいというか、控えめな感じ。「ベニスに死す」とはまるで違うのだけれど、やはりコジマはもう少しきついイメージがある。ワーグナーとコジマと娘たちのクリスマスの場面も、この映画の中では数少ない暖かみのあるシーンである。
ルートヴィヒの弟オットーを演じたアイドル顔で甘いマスクの俳優であるため、狂気に陥ったときのシーンに痛ましさが増大して見える。特に皇太后のカソリック洗礼式のときの演技は素晴らしい。ルートヴィヒの将来を予言するようだが、実際にこの親王は40年間も幽閉されたままだった。兄よりも一層悲劇的な人生だった。
即位後ルートヴィヒは幼い頃から一緒に遊んだエリーザベトに再会し、彼女を愛していることを再確認する。が、8歳も年上で皇后ですでに子供も3人も生んでいるため、当然かなわない。王族というものの義務を語るエリーザベトの言葉を拒否しながら国のために受け入れ、一度は婚約するも、同性愛的な傾向に気付いて破棄。その後は政治にも戦争にも背を向け、ひたすら自分のロマンを追い求め、首都を離れて城に閉じこもる。家来たちと鬼ごっこに興じるシーンがあるが、饗宴という趣はなくむしろ寂寥感が漂っている。ヴィスコンティの同性愛シーンは、当時だからなのだろうか、それともそれがヴィスコンティらしさなのか、非常に控えめである。
最後に幽閉されるベルク城のシーンで、太鼓をもった子供の絵がアップになる。これは子供の頃のルートヴィヒを描いた有名な絵だ。本当にこの部屋にかかっていたのかどうかは私は知らないが、この絵を見る度にギュンター・グラスの「ブリキの太鼓」を連想してしまう。長いラストシーン、夜、湖の側で松明が炊かれ、王と医者を捜すシーンは緊迫感あふれ、うまい演出と編集だと、つくづく恐れ入る。
自らの夢の実現のため、ワーグナーを支援したとき、国民はワーグナーを批判したが、ルートヴィヒのことはさほど糾弾していない。城の建設で国庫を圧迫し、財政難に陥らせたが、国民には依然人気があるのだ。だからこそ政府は簡単に退位させることができず、精神鑑定を慎重に行うのだ。戦争に背を向け、前線に出ない王様など軍隊は嫌って当然なのに、何故か軍の中にも支持者は多い。
この王様は不思議な魅力にあふれている。本人の言葉通り「謎のまま」である。ドイツ人の気質の中に孤独を好むロマンチストが潜んでいて、ルートヴィヒはまさにその象徴だからかと想像してしまう。政治家としては駄目な王様だが、象徴としては悪くはなかったのだろう。
彼の作った様式はメチャクチャな組み合わせで作られた三つのお城が現在もバイエルン地方の観光の目玉となっているのである。ノイシュバンシュタイン城は言わずとしれた白鳥城。リンダーホフ城は館といってもいいような大きさだが、白鳥のボートをうかべた鍾乳洞風の人口洞窟がある。ヘレンキームゼー城ではシシーがヴェルサイユ宮殿鏡の間を模した部屋で哄笑した。マキシミリアン2世が作ったシュバンガウ城はノイシュバンシュタインのすぐ下にあり、ルートヴィヒは幼少をここで過ごしたことがある。まるっきり「ドイツ・ロマンチック街道」である。今となってみれば財政源になっているところが皮肉だな。。