最近読んだ本、見た映画・芝居、聞いたCD

2004年9月14日

オープンディクショナリ

「ネットで信頼に足る百科事典は作れるか」という論題で、実際に編纂していると日々感じることだが、現状ではまったく信頼には足らない。意図的ではない単なる誤謬については誰かが見つければいいのだけど、現状ではなかなか見つからないというシステムだ。更に、意図的な誤謬を防ぐことは難しい。Wikipediaでの実験等書いてあるので、面白いから読んで見るとよい。これは非常に優秀な結果だと思う。
信頼に足るようになるにはいくつかシステムとして備えなければならないことがある。
以前オープンディレクトリについて議論したときのことを思い出す。あまり変わらない気はするな…。

1.筆者の情報をオープンにすること。多くの人がその筆者の採点をすること。信頼に足る筆者であるかどうかを見極わめやすい仕組みを考えること。

2.監修者を作ること。ここがポイントだろうなぁ…ここで費用が発生することになりかねん。

妥協点を考えると、既存の百科事典にプラス特定ジャンル(新しい分野、進化の激しい分野)のみをオープンにして、人気をとって、そこだけ監修者をつける、とかかな。分野によっては百科事典にTrack Back受け付けても広がりはできるし。って、日本じゃJapan Knowledgeしか残ってないじゃん(平凡社百科事典は@NetHomeの会員になれば見られるそうな)。そうだ。Yahoo!がNipponikaを入れて、やってくれればいいんじゃないかな。

ところで、日本のウィキペディアなんだが、とにかく重くて話にならない。関心空間も同様。好きなサービスなんだけど、貧弱な環境ではどうにもならない。だから私ははてなに走った。

常々思うのだけど、一応自分のジャンルっていうのはもっていて、それ以外のところにはあまりお互い浸食し合わないようにしている感じがするな。私がそうなんだけど。でもミスはいちいち私に報告しないで、修正して欲しいなぁ。オープンなんだから。いや、ミスしない方がいいんだけどね。でも、単純なミスというよりは何せリソースであるニュースソースが嘘ついたり先走ったりといろいろあるからなぁ。

信用できない書き手っていうのはいて、それを私以外の他の人も感じていて、見つけるとしょうがないから修正していたりする。わりと疑われてる感じの人っているね。こういうのはすぐに淘汰されるんだろうけど、他の書き手が見つからないジャンルだと残っちゃっていたりするんだよねぇ。

書き方のルールなんてWikipediaみたいに細かくすると面倒くさくなってみんな書かなくなっちゃうから、やめた方がいいと思う。けれど、内容量とか、最低ラインこのくらいはあってしかるべき、というところは欲しい気はする。それは実践でたくさん書いた人がなんとなくルール化していく感じでもいいと思う。

「はてな」ではキーワード書いてる人たち同士でコミュニティになってるんだけど、それって楽しいのかな?私は超マイナージャンルで楽しんでいるだけなので、ほんの数人の人しか知らないから気楽でいいけど、あまり大勢の人とつながってると見解に違いが出たりするので緊張して書きづらいんじゃないかなぁ、なんて思ったりする。