清水邦夫著作リストのホームに戻る
編集後記

2016.5.1

「楽屋」)「燐光群アトリエの会「楽屋」フェスティバル―演劇企画火のように水のように」(梅ヶ丘BOX)を観劇しましたので、ブログの方で更新しました。

2015.9.13

「タンゴ・冬の終わりに」(行定勲演出・パルコ劇場)を観劇しましたので、更新しました。

2014.3.28

2014年3月26日、清水作品の舞台で何度も主演をつとめられ、公私ともに清水邦夫先生のパートナーであった、女優・松本典子さんが間質性肺炎により亡くなられました。78歳でした。松本典子さんは2001年の「女優N」を最後に女優業を引退されていました。

松本典子さん死去 間質性肺炎で(デイリースポーツ 2014.3.28)

2011.7.10

「血の婚礼」をにしすがも創造舎体育館で観劇しましたので更新しました。

2009.5.14

「雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた」をBunkamuraシアターコクーンで観劇しましたので更新しました。

2008.5.16

「わが魂は輝く水なり」をBunkamuraシアターコクーンで観劇しましたので更新しました。

2007.4.1

3月30日(金)~4月1日(日) 多摩美術大学で清水邦夫教授退職記念イベント「清水邦夫の劇世界」らが開催されました。

2007.2.16

「シナリオ」のあたりをいろいろと追加しました。実は現在でも入手できるものがたくさんありました。また、映画化されていないシナリオも発掘しました。

2007.2.3

最終日にようやく早稲田演劇博物館の企画展「清水邦夫と木冬社」に行くことができたので、イベントのページを作成しました。この2年というもの、芝居を見に行く時間がなかったのですが、少しずつ復活したいと思います。

2006.12.7

久しぶりに本が刊行されました。ハヤカワ演劇文庫として刊行された文庫本で、「署名人、ぼくらは生まれ変わった木の葉のように、楽屋」の三作が掲載されています。清水邦夫Iとあるので、続刊があるのでしょう。

2005.2.7

「幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門」を観劇しましたので更新しました。本当に久しぶりの観劇で、すぐに集中できない自分を感じて、やっぱり見続けないとなかなか入れない世界だなぁと思いました。

2004.11.6

なんと、3年近くほとんど手を入れていませんでした。思い切って全面リニューアルしました。デザインの変更のみならず、雑誌記事を調査して評論・エッセイ関連記事を大幅に追加し、主に映画のDVDを追加し、抜けていた木冬社公演を追加し‥と大忙しです。さぼっていたツケがまわって来ました。
そのきっかけとなったのは、「幻に心もそぞろ狂おしの、われら将門」の公演情報を教えて下さった上になんと公演中止となった、幻の風屋敷のチラシ画像を送って下さった奇特な方がいて下さったことです。ありがとうございました。
それにしても、もう7年もこのサイトやってるんですね。


2001.8.16


1年半も放っておいたんですが、いいかげんフレームがイヤになったので、CSSで大改造に着手しました。それをやりながらちょっとずつデータを更新する予定です。


1999.12.7


約1年ぶりの更新です。99年の公演、「エレジー」「血の婚礼」「戯曲冒険小説」「戯曲推理小説」を追加しました。


1998.12.16


私は1983年以来ずっと清水作品を追いかけて来たのですが、実は1995~1996年頃はちょっと離れていました。その頃の作品「わが夢に見た青春の友」「愛の森」については、全く情報がなく、空いたままだったのを悠哉さんが補って下さいました。


1998.7.16


7月14日に「リターン」を見てきました。戯曲のコーナーに追加しました。


1998.4.19


「せりふの時代」を更新。「私の夢は舞う」の上演データを入手したので、更新しました。


1998.2.15


ついにコメント付与終了。あと1作残しておりますが、これをもちまして、とりあえず完成とさせていただきます。


1998.2.3


 本日清水邦夫先生よりチラシ、パンフレットの画像掲載をお許しいただきました。誠にありがとうございます。木冬社の手持ちのパンフレットだけuploadしました。 もう少しで全作品にコメントを付け終わります。その後未調査だった雑誌等を調べます。また、木冬社以外の公演のチラシ、パンフレット画像の掲載許可、書籍類の表紙の掲載許可のお願いなども少しずつ手をつけていきたいと考えています。


1997.11.6


 コメント類はほとんど出来ていませんし、雑誌の調査もまだまだですが、今日を公開日とします。YAHOOにも登録されました。  さて、所信表明でもしましょうか。
 私がこの方の作品と出会ったのは、ちゃんとした公演としては1985年の「救いの猫ロリータは今…」です。清水作品が好きな先輩に紀伊國屋まで連れて行かれました。岸田今日子が出るならいいかなーと思ってついて行きました。あまり強烈な印象はなく、岸田今日子の気持ち悪さというか不気味さがイヤミなく感じられて良かったなー、くらいでした。
 次に「タンゴ・冬の終わりに」を観ました。再演でした。前述の先輩は初演を観たらしく、強力に連れて行かれました。これが決定打でした。以後、ほとんどの作品を観ています。
 しかしながら当時既に私と同じ年齢の観客はあまり多くありませんでした。相当な演劇好きか実際に学校や劇団などでやっていそうな、いかにも、という感じの人が多く、当時大流行していた遊眠社や第三舞台といった小劇場の観客とは一線を画していました。しかしその頃は中村伸郎の追っかけという若いくせに妙な趣味があって、別役作品や演劇集団円、太田省吾なんかを観てましたから、あまり違和感は感じませんでした。
 それでも90年代に入ると、ちょっと自分が浮いているのがわかりました。ほぼ最前列で観てましたが、周りは40~50台のおじさんやおばさんばっかり。確かに若い人に訴える作品ではありませんでした。しかしながら私はずっと好きでした。
 「あ、やばいな」と思い始めたのは93年頃です。もの凄く期待していた蜷川演出の「ひばり」が中止され「血の婚礼」再演に変わってしまい、後はアトリエでの公演や再演が続きました。アトリエは極端に遠く、綾瀬の時代も辛かったですけど、どうしても「楽屋」だけは観ておきたくて行きましたけど、板橋までは足を運べませんでした。そうこうしているうちに自然と足は遠のきました。
 「ひばり」のやり直しというか、二人の「死ぬ前にどうしてももう一度」という執念を感じる「昭和歌謡大全集」は病気で倒れた蜷川幸雄の復帰作品となってしまいました。そしてようやく再びオリジナルを!の気分が高まったときに、今度はご本人の方が病気で倒れてしまいました。  というわけでこの人の作品を知っている人は、私と同じ世代には「蜷川フリーク」を除き、非常に少ないと思われます。ということは、つまりインターネットの世界ではほとんど需要がない、という可能性があります。
 しかしながら戯曲作品そのものは学校演劇では人気が高い上、演劇を研究する人にも知られたある世代を代表する劇作家の一人です。ですから学生さんには多少は調べたい人がいるかなあと思ってデータ集として作りました。
 それだけではあまりに淋しいので少しだけ紹介文も加えるつもりですが、私は演劇を専攻してわけでも芝居をしていたわけでもありませんので難しいことは書けません。素朴な一観客の感想に過ぎません。  例え稚拙であっても、気付かぬ無知さがあっても、自分の言葉で語ろうとしない限り、その稚拙さも無知も越えられないと思います。私にとってホームページという媒体は、個人が自由に発することが出来る媒体であるが故に矮小な自分と向き合う作業でもあります。開き直っていると思われるかもしれませんが、そういう人間の言葉に価値がないとも思えませんので、途中で挫折することのないよう、頑張りたいと思います。


1997.11.3


今日でとりあえず大きな調査は大体終わりました。公開に近づいています。


1997.10.20


先日、1997年11月に上演予定だった「世紀末の恋」の公演が作者病気のため中止になったとの葉書が木冬社より送られて来ました。払い戻し金が現金書留で届いたところです。あまりのショックにホームページを作りはじめました。 今思うと最初の「ひばり」が頓挫したのが全てだったのかもしれません。再度チャレンジしたら病気のため「血の婚礼」再演に。そしていよいよ最後!の蜷川とのコンビも村上龍の「昭和歌謡大全集」の劇化でオリジナルではありませんでした。
私はもう半分あきらめながら、半分はまだ尚オリジナル脚本を待ち望んでいました。そこへ「世紀末の恋」のチケットが売り出されたのでした。結果は上記の通り。 『せりふの時代』第5号に掲載されていた「海へ…―ヘミングウェイ幻想―」の一説を引用します。
    だけど、だけど、あなたは何ひとつイメージを喚起できない!
    これがリアリストのなれの果て!
    自分の作品をただただ無能になぞるだけ!
あまにも哀しすぎる…。 誰か私にまだ諦めるな!と言って下さい…という祈りを込めて作ったページです。 とりあえず手元にある資料だけで作りました。まだまだ追加がたくさんあります。



Copyright (c)1998-2023 Yuko Nagai All Rights Reserved.

発表順戯曲一覧
五十音順戯曲一覧
戯曲収録図書
シナリオ
小説
評論・エッセイ
関連記事
年譜