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清水邦夫と松本典子―日本のカサヴェテスとジーナ・ローランズ
劇作家・清水邦夫の作品には少年の頃の自伝的な逸話が多く挿入されている。少年時代の話や兄弟・両親といった家族については、小説・エッセイ等で多く書かれているし、学生時代どんな生活をし、どんな人物に影響を受けたか、等についても書かれている。 作品を読む上で少なくともどんな少年時代を過ごしたか、という点にについては知っておきたいと思うが、後期の作品を愛する私にとってはむしろ、松本典子という女優といつ巡り会ったか、という点に大きな興味がわく。彼が松本典子という女性と出会ったことで、作品に出てくる女性が大きく変化したと想像されるからである。
後期の清水作品に出てくる女性は非常に魅力的である。日本の演劇界を見回しても、このような女性は存在しない。しんの強い日本女性やたくましかったり妖しかったりする女性は多いが、清水氏の描く女たちはしなやかで、たくましく、伸びやかで少しおっちょこちょいで、情に厚く、世話焼きである。しぶとく、驚異的な強さともろさを同時に合わせ持ち、しかしながら最後はきっちり締められる、そんな女たちである。
松本氏は「自分はこの(作品に出てきて自分が演じている)ような女性ではない」と語っているが、民藝時代を知る人物(宇野重吉や芦田伸助)からは「相変わらずだ」と言われているところを見ると、そう遠くない人物なのであろう。
1965年、岩波映画社を退社する少し前かと思われるが、アパートがそのスジの人間に知らないうちに売却され、転勤で長兄夫婦がいなくなった町田の家で約2年間、清水氏は両親と同居することになる。
その後、下北沢の現在スズナリの近くの貸家式アパートに住む。2階建の一軒家の2階を全部借りるという形だと思う。そしてここには数年住んでいた。結婚し、離婚もした、とある。
この離婚の時期というのが不明なのだが、約1年間、家を出て荷物を現代人劇場やコインロッカーなどに預けていたところから見ると1972年頃と思われる。そこで菅野和子氏の証言が出てくるのだが、1972年秋、清水氏は民藝の公演に招待券をもって現れた。その頃すでに松本典子氏と交際を始めており、ちょうどこの頃がその「放浪」の時期にあたる、とのこと。その後「ご主人になられ」とあるから、しばらく後に結婚したのであろう。
どう考えても離婚の原因が松本氏の存在によるものである、としか端からは見えないが、それについては諸事情あるものとして、あえて触れずに先に進める。少なくともその出会いと放浪と、何より現代人劇場解散から櫻社結成・解散という劇作家として大きな変革の時期とが近いという点は確かであり、これが重要な点であろう。
1973年の櫻社公演を最後に、1975年の「幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門」まで約2年間あった上に、その公演が中止となって、翌年の「花飾りも帯もない氷山よ」に至るまで実に3年間ものブランクがある。
そしてその公演で初めて清水作品に松本典子氏は出演するのである。この作品はオリジナルとは言い難い小作品ではあるが、何というか、手ならし、のような感じがある。同年、木冬社を結成、旗揚げ公演が「夜よ おれを叫びと逆毛で充す 青春の夜よ」である。翌年にはまるでつきものが落ちたかのような名作を軽く書き上げてしまう。それが「楽屋」である。
「楽屋」には女優しか出てこない、まさに女優のための女優の芝居である。青年を描く劇作家・清水邦夫は、ここから女性を描かせたら追従なき劇作家へと変貌した。この変貌に松本典子氏が大きく関与していると、観客である私は想像するのである。
で、ここから先はまったくもって余談になるのだが、かなり後になってお墓の話を清水氏が何かに書いているのを読んだ。日本文芸家協会かなにかが管理・経営する文学者のお墓があって、故人の代表作が碑文に入るそうだ。この墓碑銘は「わが魂は輝く水なり」であるそうだ。「私はそちらのお墓に入れないから」と松本氏が言って自分でさっさと段取りをつけて買ってきてしまった、とあった。残念ながらこの文章の典拠は失念してしまったが、確かに読んだ記憶がある。
エッセイ集「ステージ・ドアの外はなつかしい迷路」にはロンドンの「タンゴ・冬の終わりに」公演を観に行って、そのままヨーロッパを松本氏と二人で旅行した話などが載っているが、松本氏のことを「つれあい」「相方」と呼び、後の方で「妻」になっている。これはいわゆる「照れ」によるものであろうと読み流していたが、お墓の記事で、この時の文章をはたと思い出した。まぁ、そんなことはどうでもいい。ちなみに現在では周囲の人には「同居人」と呼んでいるそうである。
芸術家としてのこのお二人は、日本のカサヴェテスとジーナ・ローランズと言えるかもしれない。そのイメージは多分にジーナ・ローランズの強さと松本典子の強さが共通するように見えるからであろう(ジーナ・ローランズも大好きです)。しかしながら、いったん劇作家と女優という枠組みを外すと、どうもこのお二人は無口で内気な旦那さんによく喋る奥さん、という日本の典型的なご夫婦に見えてしまう。「夫婦喧嘩の時の対処法」というような内容のエッセイがあり「黙ってあとずさる」という清水氏の証言が印象に残っているからである。
世界的な演出家とその下積み(そんなものあったかどうか?)時代を支え、初期の作品に必ず出演した(現在はパッチワークの専門家の)妻、というご夫婦もあるが、私はこのお二人の方が何となく好きである。芸術家同士のよくある才能と才能の結婚ではあるが、何となく庶民的な感じのする、実に羨ましいご夫婦に見えてしまうのである。