Luchino Visconti

Filomography

Marte a Venezia

ベニスに死す
Marte a Venezia
原題Marte a Venezia(英:Death in Venice)
制作年1971年.130分
制作国イタリア/フランス
監督ルキノ・ヴィスコンティ
製作ルキノ・ヴィスコンティ
製作総指揮マリオ・ガッロ/ロバート・ゴードン・エドワーズ
原作トーマス・マン(「ベニスに死す」)
脚本ニコラ・バダルッコ/エンリコ・メディオーリ/ルキノ・ヴィスコンティ
撮影パスクァリーノ・デ・サンティス
音楽グスタフ・マーラー(交響曲第三番・第五番)
美術フェルディナンド・スカルフィオッティ
衣装ピエロ・トージ
編集ルッジェーロ・マストロヤンニ
助監督アルビーノ・コッコ
出演ダーク・ボガード(グスタフ・フォン・アッシェンバッハ)/ビョルン・アンドレセン(タッジオ)/シルヴァーナ・マンガーノ(タッジオの母)/ロモロ・ヴァリ(ホテル・デ・バン支配人)/マーク・バーンズ(アルフレート)/ノラ・リッチ(家庭教師)/マリサ・ベレンソン(アッシェンバッハ夫人)/キャロル・アンドレ(エスメラルダ)/フランコ・ファブリッツィ(理髪師)/セルジオ・ガラファノーロ(ヤシュウ)
日本公開1971年10月2日

■内容

ミュンヘンに住む高名な作曲家で指揮者のグスタフ・フォン・アッシェンバッハは心臓を病んだために仕事を中断することを余儀なくされ、ベニスに休養に来た。ホテル・デ・バンに滞在することにしたが、そこでポーランド人の一家に出会う。その中に巻き毛で金髪碧眼の14歳の美しい少年、タッジオがいた。アッシェンバッハはその美しさに魅了される。長年勤勉に芸術を作り上げて来たアッシェンバッハも迫り来る老いにおびえ、音楽家としてのモチベーションは低下し、創作活動のスランプに陥っている。何も手を加えていない、究極の美しさをもってタッジオはアッシェンバッハの前に立ちはだかる。

タッジオに魅かれる自分を恥じ、シロッコ(アフリカ大陸からの熱風)に悩まされたアッシェンバッハは一度はベニスを後にすることを決意するが、ホテル側がおこした荷物の手配のミスによって嬉々としてホテルに戻る。

しかし、ベニスはコレラが蔓延し始めていた。そのことに気づいたアッシェンバッハはタッジオ一家にベニスを去るよう勧めようと思うが、どうしても出来ない。どうにも出来ないままアッシェンバッハはタッジオを目で追い続けるのだが…。

■感想

高校生のときにまず原作を先に読み、読後すぐに映画を見た。どんなタッジオなんだろう。少しでも期待はずれだったら猛烈に腹が立ったに違いない。ところが、ビヨルン・アンドレセンは完璧だった。想像を遙かに超えて素晴らしい芸術作品だった。この映画だけでルキノ・ヴィスコンティという映画監督の力量がわかった気がした。私がヴィスコンティ作品を初めて見たのはもちろん「ベニスに死す」だった。

この少年のすばらしい美しさにアシェンバハは唖然とした。青白く優雅に静かな面持は、蜂蜜色の髪の毛にとりかこまれ、鼻筋はすんなりとして口元は愛らしく、やさしい神々しい真面目さがあって、ギリシア芸術最盛期の彫刻作品を想わせたし、しかも形式の完璧にもかかわらず、そこには強い個性的な魅力もあって、アシェンバハは自然の世界にも芸術の世界にもこれほどまでに巧みな作品をまだ見たことはないと想ったほどである。(高橋義孝訳「ベニスに死す」)

今でこそヴィスコンティの代表作のように言われるが、今更ながらよくこんな小説を映画化できたものだとつくづく思う。ストーリーらしいストーリーはなく、芸術家の内面の葛藤とひたすらプラトニックな愛情を描いている。原作の小説家を映画で音楽家に替えて主人公の職業を視覚的にし、アルフレートという友人を回想シーンで出すことにより、主人公が自らの信念(=芸術とはたゆまず作り上げるものだ)に反する究極の美の創造物(=タッジオ)と直面していることによる内面の危機を表現している。更にタッジオとかつて出会った娼婦(これは原作にない)を結びつけることにより、わかりやすくアッシェンバッハがついに官能の世界にまで陥ったことを表わしている。こういった映画上の技法でわかりやすくしているため、決して難しい映画にはなってはいない。そしてベニスという街の頽廃的で豪華で、迷宮的な雰囲気を味わうことが出来るだけで、充分に楽しめる映画に仕上がっている。

今回は原作を完全に頭から完全に外し、映画を初めて見るような気持ちで臨んだ。すると、最初の化粧をした老人の出現は後でアッシェンバッハが自ら老いをかくすためにした化粧の前触れとして理解できるが、その時はよくわからない。その次に出てくる無許可のゴンドラ船頭も何の意味があるのだろう?と思えてしまう。だが、その次に出てくる饒舌なホテルの支配人と合わせて、なんだかみんな不気味で、地獄への案内人のように感じられた。ヴィスコンティの狙い通りなんだろう。

タッジオ登場のシーンで息をのみ、そしてタッジオの母の登場する。彼の美しさの裏付けというような彼女の存在によって、タッジオが更に輝きを増す。その後はひたすらアッシェンバッハ(見る者)とタッジオ(見られる者)の攻防である。タッジオは時にはアッシェンバッハの視線に気付き、挑戦的だったり、少し蠱惑的だったりするまなざしを返すことがあるが、基本的には一方的に見られる者である。アッシェンバッハの胸の高鳴りが伝わって来て、タッジオに視線が気付かれるのではないかと思い、緊張してしまうほどだ。

今回、記憶にあるタッジオより遙かにごくごく普通の少年として描かれていることに少し驚きを覚えた。他の子供たちと海で遊ぶ姿や姉妹たちと異なり、唯一の男の子だから甘やかされているのだろう、無邪気さいっぱいで家庭教師を困らせていたりする姿を見せている。ただ、アッシェンバッハが追っているときは、台詞はなく、少し目を上げ下げする程度の控えめな演技しかさせられていない。どうもこちらの方の印象ばかりが残っていたようだ。

トーマス・マンの原作にもあるが、面白いことに「ベニスに死す」のエピソードの多数が実際にマンが出会った出来事だそうだ。化粧をした若作りの不気味な老人、行き先通りに行こうとしないゴンドラ、何よりタッジオ自身と出会っている。ポーランドの貴族でウラディスラフ・モエス伯爵といい、子供の頃は「ウラジオ」と呼ばれており、彼は実際にその年(1911年)にベニスに家族で行っている。かなり後年になってから作品を読み、自分と自分の家族だと気づいてマンの娘エリカに手紙を送って来たという。ヤシュウという少年も実在していて、ヤン・フラコフスキーという名で、二人でいつも自分たちを見ているマンの存在を覚えていたそうだ。ただ、マンにはちゃんと奥方が一緒にいたところが違うし、当時彼はまだ36歳だった。

アッシェンバッハを原作で自らと同じ職業の作家にしたマンだが、この作品を書く直前にグスタフ・マーラーと出逢い、そしてその訃報に接したマンが、モデルとしてマーラーを念頭においていた。映画化にあたり、前述した視覚的な目的のためもあり、ヴィスコンティはアッシェンバッハをマーラーをモデルとした音楽家に変更した。そこで映画の中でもマーラーの音楽が使われ、公開直後、世界のあちらこちらでマーラー・ブームが起こったそうだ。繰り返し使われる交響曲第五番第四楽章があまりにもぴったりなので、まるでこの映画のために作られたサントラのようだ。

タッジオ一家を追いかけるアッシェンバッハがベニスの街をさまよい歩く。コレラにおそわれた街には張り紙が貼られ、消毒液がまかれている。次に街中を行くと、あちらこちらで消毒のためか火が炊かれ、炭の固まりが見える。この映像からは消毒液や腐敗したような臭いがこちらにまで伝わって来そうだ。

アッシェンバッハが床屋に言われるがままに白粉をつけ、髭や髪に白髪染めを入れ、唇に紅をさす。老いを隠すためだったが、まるで死装束のように見える。タッジオを見失い、自らを見失い、街の水飲み場で哄笑して崩れ落ちるアッシェンバッハの顔に、白髪染めの黒い筋がたれている。グロテスクで醜悪で、恐ろしい場面だ。ところが、ラストのアッシェンバッハの死の場面でもこの白髪染めの黒い筋は現れるが、このラストシーンは非常に美しい。それはおそらく、みんなが立ち去り閑散とした海辺でロシア人の夫人がムソルグスキーの子守歌を歌っているところから始まるからだろう。最初は初めて出てくる人が歌なんか歌ってるから「?」という感じだったが、次第に聞き惚れてしまう。タッジオとヤシュウの喧嘩の後、海を背にしたタッジオが腰を手におき、一種のポーズをとる。

突然、ふと何事かを思い出したかのように、ふとある衝動を感じたかのように、一方の手を腰に当てて、美しいからだの線をなよやかに崩し、肩越しに岸辺を振り返った。(高橋義孝訳「ベニスに死す」)

おそらくは最後にアッシェンバッハが目にした光景である。私の眼の裏にも、いつまでも残る、美しすぎるワンカットである。

DVD-BOX III 「郵便配達は二度ベルは鳴らす」に特典としてもう一枚DVDがついてくる。それが「タッジオを探して」という約20分のドキュメンタリーである。映画化するにあたり、最初にヴィスコンティが力を注いだのがタッジオ探しだった。これが成功するか否かで映画の成否に大きくかかわるからだ。チェコ、スウェーデン、デンマーク、ポーランドなど金髪碧眼の子が多そうな国を回っている。初めてビョルン・アンドレセンを見たヴィスコンティは背が大きいことに驚いていた。私もそうだった。イメージより背が大きく、華奢な感じがそれによってより強く感じられる。ビョルン・アンドレセンはこの映画以外には出演していないようだ。それはとてもありがたいことだ。老いた姿など、それこそ見たくはない。

(2005.3.17)

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