黄色い雨
■原題:La Lluvia Amarilla : Julio Llamazares, 1988
■著者:フリオ・リャマサーレス著,木村榮一訳
■書誌事項:ソニー・マガジンズ 2005.9.10 ISBN4-7897-2512-X
■感想
木村榮一の翻訳だから読んでみた。リョサやコルタサルの翻訳をした人で、ラテンアメリカ作家の方面の人だと思っていたから、スペイン作家は珍しいと思いつつ、手にとってみる。そんなとき2000円以下だと即決で買えるのだが、2000円以上だと、ちょっと考えてしまう。
亡霊が出てくる=幻想文学だというふれこみもあったが、そこから離れた方が良い。孤独と親しみ、孤独を愉しむ、よくある文学のテーマの一つと思って取りかかると、それもまた期待外れに終わる。これは壮絶な孤独との戦いの記録である。廃村に取り残されてたった一人になってしまった老人の10年に渡る物理的、精神的な戦いの様子が、簡素な文章で詩のようにつづられている。
物理的、というのは本当に人が自分のまわりからいなくなってしまう状況を指す。実際は本人も他の村へ移り住むことは不可能ではないのだが、親が苦労して建てた家を離れられなかっただけなのに。それを拒絶したのは単なる頑固だったからか。それだけではあるまい。それだけならとっくに逃げ出すだろう。
冒頭、今まさに亡霊となろうとして横たわっているのか、あるいはすでに死んでしまっているのか。男が、村に人が入ってくる人々の動きを克明に追いながら、荒廃した村を淡々と描写する。それから、最後の一家が出て行き、妻と二人きりになってしまったときのこと、妻が神経を病み自殺したこと、更にさかのぼり、息子が出て行ったときのこと、幼い娘が死んだときのことなどが語られる。一方で、荒廃の一途を辿る村の様子、自分の食料を確保するという「生きる」ための戦いも克明に語られる。
主人公は自分も妻のように気が狂うのではないかという不安におののきながら、一方では「死」に対する恐怖はないと言う。だから最後は開放感と充実感だけが残り、哀しさや悲惨さは感じない。透明感のある美しい小説で、一気に読める。
最後に、本書がとても美しい装丁デザインであることにも目を惹かれる。鈴木成一という有名な装丁家の手によるものだが、装丁って書誌データベースでは検索できないからつまらないな。ホームページくらい作って欲しい。